クルド地区ハラブジャへの化学兵器使用で「ケミカル・アリー」に死刑判決
2010年01月18日付 al-Hayat 紙

■ クルド地区ハラブジャの空襲事件でアリー・ハサン・アル=マジードに死刑

2010年1月18日付アル=ハヤート紙(イギリス)HPアラブ世界面

【バグダード:本紙、AFP】

 イラクの最高刑事裁判所は昨日、アリー・ハサン・アル=マジード元国防相、通称「ケミカル・アリー」に対し、1988年に約5千人が殺害されたクルド地区ハラブジャへの化学兵器投下の罪により死刑の判決を言い渡した。

 アッブード・ムスタファー・ハマーミー裁判長は、「殺人という人道に反する罪を犯したことに対し、法廷は彼の絞首刑を決定した」と述べた。判決が読み上げられた途端、アラブの民族衣装を身につけ冷静な様子のマジードがはっきりした声で「神に栄光あれ、神に栄光あれ」と繰り返す一方、クルド自治区関係者を含む一部の出席者からは拍手が起きた。

 法廷はマジードに対し、「市民の強制移住および強制失踪という人道に反する2つの罪を犯した」点でも有罪との判断を下した。

 ちなみに、法廷がマジードに下した死刑判決は4件目である。最初の判決は「アンファール作戦」の裁判、2番目は「シーア派蜂起」の裁判、3番目は1999年にムクタダー・アル=サドルの父親であるムハンマド・サーディク・アル=サドル師が暗殺された後に起こった「金曜礼拝事件」に関するものであった。

 法廷は、スルターン・ハーシム・アル=ターイー元国防相、サービル・アル=ドゥーリー元軍情報局長官、ファルハーン・ムトゥラク・アル=ジャブーリーらに対しては、それぞれ10年から15年の禁固刑の判決を下した。ハマーミー裁判長は、「法廷はサービル・アブドゥルアズィーズ・フサイン(アル=ドゥーリー)被告が人道に反する罪である市民の強制失踪の罪を犯したことに対し、禁固15年の判決を下した」と述べた。

 また法廷は、ハラブジャで「同様の犯罪」を犯したとしてスルターン・ハーシム・アル=ターイーに「禁固15年」を言い渡した。ターイー被告もアラブの民族衣装を着て、判決を意に介さない堂々とした様子で周囲を見回していた。

 「クルディスタンの虐殺者」と呼ばれたマジードの名は、反乱や不服従の動きを抑圧する際の残忍さと暴力的なやり方によって広く知られている。彼はその道のスペシャリストであった。1987年から1988年の2年間に8回の攻撃が行われたアンファール作戦の一環として、1988年3月16日にイラク軍戦闘機はスライマーニーヤ県のハラブジャを攻撃した。

 イラクとイランの戦争が終わりに近づく頃、クルドの民兵組織(ペシュメルガ)がハラブジャを占拠したところ、直ちに反撃したイラク軍は爆撃を行い、民兵の戦闘員らは女性や子供を後に残したまま周囲の山岳地帯へ退かざるを得なかった。

 独立系のクルド人各方面による推計では、マスタード・ガス、サリン、その他の混合物など神経を麻痺させる様々な種類の化学兵器を用いた爆撃によって4千人から7千人が殺害され、ほとんどが女性と子供であったと指摘されている。

 クルド自治区政府からの最初の反応として、政府の報道官であるカーウェ・マフムード文化相は、「(判決は)正義が実現し、抑圧政策が永続することはあり得ないという証であり、これはまさに歴史の裁きである」「この件に職業上の専門性をもって取り組んできた法廷がこの判決を下すことを我々は予期していた(…)これはハラブジャの無防備な市民らに行われた醜悪な犯罪に対して長く待たれていた公正な判決である」と語った。

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( 翻訳者:森本詩子 )
( 記事ID:18303 )