Taha Akyok コラム:アルメニア議定書に暗雲
2010年01月20日付 Milliyet 紙

アルメニア憲法裁判所は議定書の一本の柱を折ってしまった。今後(両国関係が)進展するのはかなり難しくなるだろう。
この事態を受け、タシュナク派と在外アルメニア人らは今とても安堵している。裁判所の決定を調べてみた。決定の条項では、『議定書は合法である、承認した』となっているが、根拠条項の第5項には「議定書のアルメニア側の柱は崩れ落ちている」と書かれている(も同然である)。

この第5項の要約は次の通り。
「アルメニア-トルコ間の議定書は、アルメニア憲法の序文と独立宣言の第11項に反する形で解釈されることはあり得ないし、適用されることもありえない」
アルメニア憲法の序文は「独立宣言に刻まれた国家的目標」について説明しているのだ!独立宣言の第11項には、「オスマン時代のトルコと西アルメニアで起きた1915年虐殺の国際的認識」を、アルメニア共和国に「任務」として課しており、これを「国の目標」としている。
このように裁判所は、要約すると次のようなことを述べているのだ。「議定書に問題はないが、共通歴史委員会を設立し1915年事件が虐殺であるかどうかを議論することはありえない」

■誰のせいか?

しかし議定書には基本的な3本の柱があった。
・両国の国土保全と2国間の国境再確認。
・共通歴史委員会を設立し1915年事件を検討する。
・議定書が両国の国会により承認されてから2ヶ月後に国境を開放する。

アルメニア憲法裁判所は「1915年事件の議論」の道を閉ざして、議定書の「歴史委員会」という柱を壊したのだ!外務省の言葉によれば「変形させてしまった」のである。トルコの主な主張のうちの1つは、共通歴史委員会を通して、虐殺の主張が議論できるようになることであった。これが実現しなければ、トルコがいかに民主主義の国だからと言って、議定書をトルコ大国民議会(TBMM)へ送ることはできないし、TBMMも承認できない!
両国の常識ある人々に平和への希望を訴えかける議定書は、ナゴルノ・カラバフでの進展が見られなければ、トルコのせいで手詰まりになると思われる一方・・・議定書はアルメニア憲法裁判所のせいで袋小路に押しやられているのだ。しかしタシュナク派と在外アルメニア人はそれゆえとても安堵しているのだ!

■責任はアルメニアにある

在外アルメニア人の重鎮であるハルト・サスンヤン氏は、昨日(19日)の「カリフォルニア・クーリア」の記事で、もう「歴史委員会で虐殺について議論がなされえない」ということを喜々として説明しており、さらにはもっと踏み込んでいた。サスンヤン氏によると憲法裁判所の決定は、1921年のカルス条約も「認められない」ということになっていたのだ!
これはばかげたことだ。このような解釈は在外アルメニア人らの馬鹿さ加減を示すだけだ。しかし次のことは絶対である。アルメニア憲法裁判所は「虐殺」という阻止材料を示しながら、議定書を「変形させた」のだ。
トルコはこの議定書を承認して良かった!今こそトルコは素晴らしい意図を世界中に説明することで、新しい議論の根拠を勝ち取ったことになるのだ。
・1つの国内組織であるアルメニア憲法裁判所は、国際条約である「議定書」に変更を加えた。国際法によればこれは支持されえない。
・調印されたテキストを「1つの国内組織」がこのように変えたことにより、誰も議定書をトルコが一方的に進めているなどと主張する権利はない。
・外交で、特に議定書に大きな支持を示しているミンスク・グループ、特にアメリカとロシアでは、この行き詰まりの責任はアルメニアにあると考えられている。この憲法問題はアルメニア政府自身が解決するものである。

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( 翻訳者:釘田遼香 )
( 記事ID:18307 )