NATO会議、ホストのトルコ、会議運営でミス連発、大混乱
2010年02月04日付 Milliyet 紙

NATO防衛大臣非公式会合は運営ミスで大混乱した。停電を始め、ごみの山や記者なしの記者会見まで、数え切れないミスについてコメントした記者たちは、今まで見た中で最もひどい会議運営だったと話す。

■参加者も被害を蒙った

朝、閣僚会合のためにイスタンブル会議場に来た参加者たちは、入場カードが会議場内で配布されることになっていたにもかかわらず、入場カードを保持していない者は会場内に入れないことを知った。マチカとハルビエの間を何キロも行き来して、あらゆるドアからの入場を試みる記者や参加者は、ハイヤット・リージェンシー・ホテル近くに設置されたテントで長時間待たされた後、警備員の先導でマチカへ歩いて連れられ、裏道からハルビエへ戻ってきた。1時間半かけてやっと閣僚会合が行われる会議場に辿り着いた記者たちは、何度もセキュリティーチェックを受けた。

セキュリティーチェックを担当していた警察は、意味のないチェックを「軍の指示だ。」と主張し、別の場所でセキュリティーチェックを担当している軍人は、「このように命令された。」と述べた。電子機器には、入り口でセキュリティーチェックを受けたことを示すシールが貼られたが、会場内で電子機器にシールが貼ってあるかチェックする者はいなかった。セキュリティーチェックにおいて、警備員と参加者の間で多くの口論が勃発し、その状況に飽き飽きしたある警察官は、口論になった記者を外に連れ出し、喧嘩をつづけた。

閣僚会合が行われた会議場の裏口のごみの山の間から中に通された記者たちは、工事中の階段から(会合が行われる)ホールに入ることができた。

■記者なしの記者会見

幾度ものセキュリティーチェックを受けて会場内に入ることができた記者たちは、NATOのジャン・フランソワ・ブリュー広報局次長の記者会見に記者は入れないことを知った。11時15分に行われる記者会見に記者が入れないことは無意味であるとの議論の結果、説得に成功した記者たちは、10時30分にまとめて記者会見場に連れて行かれることが決まった。

出入り口前で記者たちを誘導するリエゾンは、(正面の)出入り口からではなく、下の階から出るように指示されていると述べ、会議場の出口を探し始めた。会議場内のホールや廊下を行き来した記者たちは、11時15分に外に出ることができた。11時15分に外に出た記者たちは、今度は、記者会見場へ行くための車を待つ羽目になった。車の手配には10分かかった。記者たちは、広報局次長の記者会見が行われるイスタンブル工科大学(İTÜ)へ11時50分に到着した。記者たちが到着したとき、関係者は記者会見が終了した旨伝えた。これを受け、説得されたブリュー広報局次長は、今度は記者のためにもう一度同じ会見を行った。

■だれも責めたくはないが・・・・

ブリュー広報局次長は、「この条件の下で作業を進めるのは簡単なことではない。NATO防衛大臣会合は、ホスト国とNATOの共同作業である。両者とも、悪者にしたくはない。関係者と話して、問題を解決する。我々にとっても、この事態は非常によくない。というのも、マスコミは、国民に(情報を)届けるための鍵であるからだ。我々にとっても、あなた方にとってもよいことはない。あなた方が仕事ができないと、我々もこの会議に重要性を国民に説明できないのである。国民も、ここで何が起こっているか分からない。もっとまともな対応ができたはずだ。」とのべた。

■停電になった

会合が行われたイスタンブル会議場は13時頃、停電になった。暗闇に囲まれた外国人たちは、「トルコはきっと電気代を払うお金がないのだ」と冗談を言った。プレスセンターでは、セキュリティー上の観点から、インターネット接続がなかった。アフガニスタンでNATOがインターネットの使用に関して行ったことを説明していたブリュー広報局次長は、プレスセンターのインターネット制限の理由を問われると、笑いながら、「今晩中には、インターネットが繋がることを願っている。」と話した。会議場では、閉鎖されている階段のドアが多く、そこには警備員が立っていたことから、トイレに行くために100メートル以上歩かなくてはならない。100メートル歩くと、やっとしまったドアの横の通路を通ってでることができるが、ドアそのものはしまったままだ。

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( 翻訳者:田辺朋子 )
( 記事ID:18407 )