Can Dündar コラム:世界中から大使を召還するのだろうか?
2010年03月13日付 Milliyet 紙

トルコは、父親が殺人に関係したことが明らかになり、友達から仲間はずれにされた子供に似ている…。
(その子は)全く考えたこともなかったのだ、この殺人について…。

(子供は)父親を拒絶したが、その過ちを無言のうちに押しつけられてしまった。その後は見て見ぬふりをしてきた。
しかし、犠牲者の近親者たちは、それで終わりにはしなかった。家々を回り、町の人達全てに聞かせたのだ。彼らの身に降りかかったことが知られ、償いがなされるようにと、と望んでいる。
子供は、「僕が悪いんじゃない、お父さんだ。きっと後悔したと思う。状況は全く違うものだった。」とは言えない。
「そんなことがなければよかったのに。僕も悲しい。僕たちの家族からも多くの人が犠牲となった。」とは言えない。
父親を守ることで、その罪の責任を負っている。
その代償を払っている。
一人ぼっちになっている。

彼がもがけば、ますます攻撃をしかけてくる。
町の親分であるアメリカが、何年もの間、そのはしに人参を結びつけていた棒を、突然ふりおろした。だれもが予想もしないタイミングで。
親分の態度が変化したことを見た町中の人は、棒を手に取り、行動を開始した。
「あの件だけじゃない、他の殺人もあなたが行ったのだ」と、彼らは子供を追い詰める…。
この告発の後に何がくるかを予測するのは難しくない。
そもそも、トルコは20カ国の議会によって「虐殺」を告発されている状況だ…。
ベルギー、イタリア、オランダで決議は通過した。
イギリスも、もうすぐである…。
輪は狭まっている。中ではトルコが一人ぼっちで苦しんでいる。
擁護している友人たちでさえ、「(トルコは)やっていない」とは言えず、「その子供は私たちに必要だ。だからそんなに打ちのめさないでおこうよ」との考えで動いている。

* * *

トルコは何をするべきか?
全ての決議案への投票の前に議員を送り、過去十年間やったことのなかったロビー活動を、最後の数日間に詰め込んで、奮闘すること、その後、緊張しながら票を数えることを続けるべきなのか?
全ての投票の前に、外務大臣は2つの声明文を用意して待つのか。すなわち、

「我々の同盟国が、この隠された意図のある罠にはまらないことは明らかだった。法案が拒絶されたことは、我々の関係をより発展させるだろう。

あるいは…
「法案が承認されたことを厳しく非難し、これが、我々の関係にとって大きな障害となるだろうことを申し述べる。」

「-そして、結果は?」
「-承認されました。」
「-2つ目の声明文を発表しなさい。我々の大使を召還しなさい。彼らの大使にここに来るように伝えなさい。」

どこまでこのようにできるだろうか?
ヨーロッパにいる全ての大使を召還するまでだろうか?

この勢いでいくと、1915年の100周年(2015年)までに、ヨーロッパの全ての国がトルコを虐殺の罪で告発するだろう。
もちろんトルコは一人にはならない…。
「殺人」を気にもとめないサウジアラビア、イラン、シリア、アゼルバイジャンのような「友人」との関係を深める。
つまり、「『町』を変える」。

* * *

何年もの間「トルコの戦略的重要性」という切り札によってはね返されていた決議が、ちょうどトルコ-アルメニアの関係改善が進められているタイミングで承認されはじめたことが残念でならない。
その関係改善の結果である(トルコ-アルメニア国交正常化の)合意文書が承認されていれば、この決議は止めさせることができただろう。
しかし、今は逆に、可決された決議の方が、合意文書を止めさせるように見える。
加えて、トルコは、その意に反してアルメニアとの問題解決を試みたことで、アゼルバイジャンをも失ったように見える。

ヨーロッパの全ての大使を召還する段階に入った時、87年前、我々が父権を拒絶したオスマン帝国が、95年前に行った不名誉な出来事を真摯に議論し、「どこで間違いを犯したのか?」と考える時がきたのではないだろうか。

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( 翻訳者:能勢美紀 )
( 記事ID:18685 )