TRT6と地域の実情
2010年04月04日付 Yeni Safak 紙

2008年に開始されたトルコ・テレビ・ラジオ協会(TRT)6は、クルド問題の民主的な解決プロセスにおいて、控えめで、静かな貢献を続けている。TRT6はクルド系の国民からだけではなく、全てのトルコ系の人々からも視聴されている。

ある言語を自由に話せない時代は終わった。かつては「クルド語の音楽」を聞く者には監獄行きの処罰が下され、クルド労働者党(PKK)員というレッテルが貼られたものだった。しかし、(そのような貶められた地位にいた)人々の夢が現実となる日が来た。理想が現実のことになったのだ。

今日の議論されているTRT6が実らせた結果は、肯定的なもの、それとも否定的なものなのだろうか?TRT6の開始を阻止しようと、政府に対し、様々な反発の意見がなされていた。母語放送の必要性に関する報告書が提出されているにも関わらず、(共和人民党の)デニズ・バイカル党首、フィクレト・ビラ、ムラト・イェトキンといった人物はTRT6に関する問いに対し、以下のように答えていた;

「政府の資金でこのような事業を進めることは、一体どの程度正しいことなのでしょうか?ただ一つの民族集団の要請に応えるために、7千万の資金を使うことはできません。もしこの要請を受け入れれば、明日にでもチェルケス人、アラブ人、ボスニア人たちが『私たちの言語でも放送を行ってください』と言い出しかねないでしょう。」

TRT6は改革開始の合図となった。実際に改革プロセスが始まると、野党は「国民を裏切ることで味方を得た」と述べた。TRT6の改革に関し、その開始の前、幾度となく議論が交わされた。この議論は改革の土壌をより醸成させることになった。両極端にある人たちは、「過激な」批判でもってこのチャンネルの開始に激しく反対した。

しかしながら最終的にTRT6の放送は、クルド語によるエルドアン首相の「TRT6の幸運を祈る(TRT Şeş bı xeyr be)」という挨拶で始められた。当初より大きな議論の的となっているこのチャンネルを、ある人々はすぐに終了すると言っていた。また一部の人たちは、悪影響を与えるとしても「国策」で設立されたので、政府がこのチャンネルを閉鎖しないだろうと話していた。

さて、これらの発言はどのくらい真実を反映しているのだろうか。TRT6は本当に政府のお荷物なのだろうか?もしくは近い将来、お荷物ではなくなる日がくるのだろうか?TRT6の視聴率は低いのだろうか?これらのことは全て、一つひとつ調査されなければならない重要な問題である。このチャンネルは当地域で視聴されているのだろうか?視聴者は国内のクルド人だけなのであろうか?TRT6は、近い内に広告収入から財源を確保することができるのだろうか?他の人たち同様、地域の現実を捉えず、現地に赴いて観察しない、「机上」の計算に私も飽きているのだ。よって今ここで、上述した理由により重要と信ずるところの問いに対する答えを求めねばならない。

■ TRT6(ŞEŞ)の意義

平和と(共同計画のための)同胞愛にとって大きな役割を担うTRT6は、日々進歩していたに違いなかったし、これからもそうでなければならない。上述したように「クルド語のカセット」を聴くことが罪になる時代はもう終わった。「母語での報道」はEU加盟の重要な条件項目の中にあった。TRT6は、トルコ政府が国民との和解に向け進めた歩みであると同時に、トルコをEUへも一歩近づけたことになった。最近ではスウェーデンがEU加盟プロセスを進める名目で850万ユーロを寄付し、このことは、「民主的な改革と共同計画」の推進を一層重要なものとした。よって、この点で実施されるあらゆる前向きな措置を支援しなくてはならないのである。

今日まで続いてきた、質の高い、優良な放送により、TRTはトルコの広範な層に視聴されている。TRTの多くの番組が非常に好意的に受け止められているは否定できない事実である。TRT代表取締役イブラヒム・シャーヒンは、AGB社(報道調査関連の会社)の調査結果を、一連の証拠でもって否定することができる。その第一が、視聴率と公的発表の間の数字の差異である。TRTの視聴率はTRT6の重要性をより高いものにしている。東部と南東部アナトリアのクルド人活動地域でTRT6に広告を出すことは、TRT6の重要性をより確かなものにするだろう。このことの実現がさほど遠いことではないと信じている。

■ 視聴率とは何であろうか?

多くの人たちと同様、私もTRT6の視聴率について気になっていた。しかしながら、公的発表とAGBによる調査の他、これについて情報を得ることは不可能だった。したがって今、非常に重要なこの問いの答えを求めなくてはならない。TRT6はただ問題となっている地域で視聴されているのだろうか?それとも、トルコ系の国民も視聴しているのだろうか?この点において、私の心配を解消するある出来事が起こった。TRT6の視聴率と視聴者層について、ベルダン・マルディニが司会を務める(TRT6で放送された)「ギュルバリン」という番組に出演した東部出身の同業者が、以下のような説明をしてくれたからである;

「番組の後、私のことを見たという数百もの人々から電話がありました。電話をかけてきた人たちの多くは東部、南東部の人たちでした。驚いたのは、その番組を私の知り合いのトルコ系の人たちも見ていたことでした。電話してきた人たちは、イスタンブルやムシュをはじめ、イズミル、ボル、アダナ、ヴァン、ビトゥリス、リゼ、コンヤ、トラブゾン、アルトゥヴィン、シャンルウルファ、アドゥヤマン、マラトゥヤ、メルスィン、ヨズガト、オルドゥ、アンタリヤ、バルケスィル、アール、ディヤルバクル、それに…とにかく数えきれない程、さまざまな県からでしたね。」

これらの県はほとんどトルコの7つの地方部にわたっている。彼はこの番組に参加することを人には言っていなかったという。このこともTRT6がクルド系の人たちだけに視聴されているのではなく、全てのトルコ系国民によって視聴されていることを示している。私の希望は、近い将来、トルコの優良企業がTRT6に広告を出すことである、またそうあらなければならないことでもある。レジェプ・タイイプ・エルドアン首相のディヤルバクルでの講演でもって始められた、また「民主的な改革と共同」計画の最初の一歩として受け止められるTRT6の意義と重要性は、このしたことによってのみ理解されるのである。このため、TRT6には広告と番組スポンサーを付かせ、地歩を築かせねばならない。この使命(の遂行)は民間企業団体やトルコ人の独立事業家にかかっているのである。

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( 翻訳者:西山愛実 )
( 記事ID:18822 )