エネルギー自然資源相、戦死者葬儀で殴打
2010年04月19日付 Milliyet 紙


殉職したチェティンカヤ大尉のためにフナットモスクで行われた葬式に、故人の家族、親戚、内務大臣ベシル・アタライ、エネルギー自然資源大臣タネル・ユルドュズ、第4陸軍司令官中将M・エミン・アルプマン、カイセリ駐屯軍司令官陸軍少将オズデン・バイラム・アルギュズ、カイセリ県知事メヴジュット・ビリジ、カイセリ広域市長メフメト・オズハセキ、軍人および文民代表、そして市民が参加した。

カイセリ県ムフティー・シャバン・イシュレキが執り行った葬式でのお祈りに引き続き、チェティンカヤの遺体はひとしきり兵士たちの肩に乗せて運ばれ、砲架に乗せられた。この間、数人の市民がテロ組織PKK(クルド労働者党)を批判するスローガンを掲げた。

アタライ内務大臣とユルドュズエネルギー自然資源大臣の2人の大臣は葬式のお祈りの後、フナットモスクを去り、県知事府に向かった。

その後、アタライ内務大臣は県知事府に残ったが、ユルドュズエネルギー自然資源大臣は戦没者墓地へ向かった。

兵士らの葬列に伴われ戦没者墓地まで運ばれた殉職者の遺体は、そこで埋葬された。葬列が墓地まで行進している間、数人の市民がテロ組織PKKを批判するスローガンを掲げた。

ショックのあまり立っていることがやっとの、チェティンカヤ大尉の母親トュライさんと、妻であるシェラーレさんを、女性の下士官たちが慰めようと努めていた。シェラーレ・チェティンカヤさんの気丈な様子が目を引いた。

葬式での埋葬が終わると、群衆は解散したが、黄色のコートを着た一人が人込みに紛れこんで、ユルドュズ大臣を殴った。

すぐに(犯人は)ボディーガードたちによって捕らえられた。

その後ユルドュズ大臣は、墓地にあるメモリアルハウス(訳者注:殉職者の共同墓地などにある、故人の生前の業績などが掲示されている施設)に運ばれた。ユルドュズ大臣への応急処置はエルジイェス大学病院のハイレッティン・ケレシュテムル医師と県保健局のカーディル・チェティンカヤ局長が行った。

■ユルドュズ大臣は退院
エルジイェス大学医学部付属病院院長のムハメット・ギュベン教授は、ユルドュズ大臣に行ったメディカルチェックについて、「最初の検査では鼻に軽い傷が見つかった。そのため鼻を縫った。出血がないか、しばらく注意していた。X線断層写真撮影もした。鼻にある『鼻骨』と呼ばれる骨が軽く骨折している。これ以上の処置は必要ありません」と話した。

病院の出口でマスコミに対し会見を行ったギュベン教授は、ユルドュズ大臣の目には何の異常もなく、鼻の上の傷は眼鏡によるものだと述べた。

■攻撃したのは体育教師
体育教師であることが判明した犯人Ş.シムシェキは、エネルギー自然資源大臣タネル・ユルドュズを殴り、彼の眼鏡を壊した。顔に受けた一撃により傷を負ったユルドュズ大臣は、エルジイェス大学医学部付属病院に搬送された。シムシェキ容疑者のほか2人が逮捕された。

■叫んで殴った
葬式の後、犯人であるŞ.シムシェキは「殉職者は死なない。祖国は分断されえない。この一撃はトルコ国民による一撃である。見てのとおりだ」と叫んだ後、ユルドュズ大臣を殴打したという。

■チェティンカヤ大尉は武力攻撃により殉職
4月14日に、バルヴェレン町とゲチット村の間の地点で、シュルナク県バルヴェレン町に駐屯する大隊から出動した軍警察の文民バスに対しなされた武力攻撃で、軍警察の上級大尉レヴェント・チェティンカヤと、ミニバスに同乗していた2人の兵士が負傷していた。重傷を負ったチェティンカヤ大尉は、まずディヤルバクルへ、そしてそこから救急ヘリコプターでアンカラGATA(ギュルハネ軍病院)へと搬送された。

チェティンカヤ大尉はその後病院で亡くなった。

Tweet
シェア


この記事の原文はこちら
原文をPDFファイルで見る
原文をMHTファイルで見る

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:萩原絵理香 )
( 記事ID:18921 )