「国民主権とこどもの日」の祝賀行事で装甲車暴走、警官の妻死亡
2010年04月23日付 Radikal 紙

ホザットで、こどもの日の祝賀行事の最中に、ブレーキの壊れた装甲車の下敷きになって警察官が負傷、その妻が亡くなった。この警察官は負傷する前に5人の子供を助けた。

トゥンジェリのホザット郡で、4月23日の国民主権とこどもの日を祝う式典の最中に、ブレーキの故障した装甲車が見物客に突っ込み、警察官のメフメト・ギョクトゥルクが重傷を負い、妻のソンギュルが命を落とした。目撃者の証言によると、装甲車が突っ込んでくるのを見るや否や、5人の子供たちを脇にどけてかばうことで、更なる被害を防いだメフメト・ギョクトゥルクが、こうした努力にも関わらず、妻ソンギュルを助けられなかったという。

ホザットにおける4月23日の記念式典は、朝9時半から共和国広場で始まった。アタテュルク記念碑に置かれた花輪の下に集まった、約1000人の前で式典行事が実施されていった。郡の指導者や、学生たち、民衆がこの記念日を祝った後、人々は学生たちによる出し物を見物した。

学校側に移行したこの式典が10時半に終わりを迎える一方、警護の目的で駆り出され、坂の上に止められていた警察の装甲車のブレーキが故障した。この時、中に誰も乗っていなかった装甲車は、自然と傾斜を下に降り始めた。

■ 5人の子供たちは救出したけれど

警察官で39歳のメフメト・ギョクトゥルクは、34歳の妻であるソンギュルと、子の14歳のネスリハン、12歳のバトゥハンと共に式典の見物に訪れ、(式典の終わりに伴って)広場から立ち去ろうとしていたところ、突如装甲車がスピードを上げながら目前に迫ってきていることに気付いた。メフメト・ギョクトゥルクは自分の子供だけでなく、そのほかに3人の子供たちを装甲車からかばい、5人の子供たちをぎりぎりのタイミングで救出した。

この際に、ギョクトゥルク氏は、娘のネスリハンが装甲車の下敷きにされると思った妻のソンギュルが娘をかばう為に走るのを見て、彼女に向かって突進した。しかし、氏だけでなく、妻ソンギュルも装甲車の下敷きとなって重傷を負った。この事故の少し前まで見物客で埋まっていた広場に残っていた人々も、装甲車から逃げる一方で、暴走した装甲車は20m下の喫茶店の壁に激突し停止した。

■ 警察官の妻死亡

血まみれとなった警察官メフメト・ギョクトゥルクとその妻のソンギュルは、すぐに救助されホザット健康センターに運ばれた。妻のソンギュルは医師たちの懸命の処置にも関わらず、命を落とした。重体に陥った夫メフメト・ギョクトゥルクも、ヘリコプターでエラズーの大学病院へと搬送された。ここで緊急手術を受けたギョクトゥルク氏のために、警察は無線を利用して血液型を知らせた。エラズー出身の警察官であるメフメト・ギョクトゥルクが、フラト大学の医学部に搬送されたことを知らされた近親者は、この病院に集まった。ギョクトゥルクの術後の経過は、回復に向かっていることが発表された。

■ 事情聴取の開始

ホザット検察当局は、事件に関する事情聴取を開始した。装甲車の乗組員を筆頭に、式典の警護を担当していた責任者のリストを作る要求がなされた。それと同時に、目撃者への情報収集も開始されている。

■ 首長の説明

ホザット自治体の首長であるジェヴデト・コナックは目撃した事故について、新聞記者に説明を行った。式典が終わって群集が分散しかけたとき、警察の装甲車がいきなり動き始めたと語るコナック氏は、「警察官は、自分の隣にいた5人の子供たちを寸での所で装甲車からかばったが、自身と妻までは救うことが出来なかった」と述べた。

この事故が式典後に起こったことで、大惨事を免れたというコナック氏は、「このような乗り物で警護を行う際には、絶対に事前にチェックを行うことが必要です。装甲車は以前にも何度か事故を起こしています。親愛なるこの警察官は、私たちに大いなる自己犠牲の精神を見せてくれました。ホザットの市民として、心から哀悼の意を表します。警察官の方には、どうぞお大事にとくれぐれもお伝えしたいと思いますし、奥様には本当にお悔やみ申し上げます」と語った。ブレーキが故障した装甲車は以前ホザットで1人が死亡する事故を起こした他、4件の交通事故を起こしていることが明らかとなった。

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( 翻訳者:沓澤実紗子 )
( 記事ID:18947 )