ガザ地区で「捕虜の日」、夫の釈放を待つパレスチナ人女性の声
2010年04月18日付 al-Hayat 紙

■ ガザ地区で「捕虜の日」にパレスチナ人団結、内部和解への呼びかけ

2010年04月18日付アル=ハヤート紙(イギリス)HPアラブ世界面(東アラブ)

【ガザ:ファトヒー・サッバーフ(本紙)】

 喜びと悲しみの入り混じった感情で、パレスチナ人たちは各派こぞって昨日「捕虜の日」を記念する行事を行った。これは彼らの1年の記念日の中でも最も大切な日の1つであり、「あなた方は今なお我々の心の中にいる」、「我々はあなた方とともにあり、あなた方全員の釈放なしには引き下がらない」という収監者たちへのメッセージを伝えるために長時日を費やして準備する日なのだ。

 ファタハ系の収監者であるナーフィズ・ハルズ氏(55歳)の妻ウンム・アフマド・ハルズは、国際赤十字委員会のガザ市本部の前に立てられたテントで「捕虜の日」記念行事に参加しながら微笑んだ。行事には団結の雰囲気のなか、ファタハ派やハマース派、PFLP派やその他の何千人ものパレスチナ人たちが参加したのだ。しかし、彼女はため息をついた。というのも、諸派にとって国民団結という事柄が「スローガン」の域を出ておらず、「現実には実践されていない」と考えているためである。ウンム・アフマドにとって収監者たちは皆「私の兄弟であり、捕虜と捕虜を区別したりはしない。しかしイスラエルは分裂状態を利用して、捕虜たちの権利を剥奪してファタハの捕虜をハマースの捕虜と分断している」。

 ウンム・アフマドは1977年の末に夫のナーフィズと結婚して以来、ナーヒド、アフマド、バスマ、スハイル、ムハンマドを産んだ。そして娘のスハーを妊娠して1月目、1985年11月25日にイスラエル占領軍はナーフィズを逮捕したのだった。彼が逮捕されてからというもの、彼女は1人で生活の困難を背負い、夫の逮捕の1年後にパレスチナ解放機構(PLO)が支給した80ヨルダン・ディナールの見舞金によって生活してきた。それにも拘わらず、彼女は夫が不在のなかで6人の子どもたちを結婚させ、娘2人を大学卒業させたのだ。

 座り込みのテントに数百人の男女と座り、苦悩の表情を浮かべながら、ウンム・アフマドは本紙に対し、「私の心は傷ついています。息子や娘たちを結婚させた時も、ナーヒドとスハイルを大学卒業させた時も、私は喜ぶことができませんでした。ナーヒズがいなかったのですから」と語った。彼女は、「夫がいても生活は困難なのに、夫が湿った壁の向こう側に消えた生活はもっと困難なものです」と付け加え、「逮捕されてから後、アブー・アフマド(ナーヒズ)は私に離婚を提案してきました。しかし私はきっぱりと断り、彼にこう言ったのです『たとえあなたから離婚を言い渡されても、私は子どもたちと一緒にいます。他の女や誰一人にも、娘たちの髪を梳かさせるようなことはしません』」と続けた。

(後略)

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( 翻訳者:鈴木啓之 )
( 記事ID:18966 )