Derya Sazakコラム:憲法改正案と過去の清算、80年クーデター
2010年04月30日付 Milliyet 紙

国会で9月12日クーデター遂行者を裁くことにつながる憲法暫定15条の廃止についての投票の結果が、30年前に軍事政権が成立した午前四時頃に明らかとなった。

 歴史とは皮肉なもので、336票の賛成によって国会を通過した暫定15条を廃止したのは、9月12日クーデターにより成立した軍事政権によって解党させられた共和人民党(CHP)と民主主義者行動党(MHP)の党員ではなく、公正発展党(AKP)党員たちである。このような矛盾した状態は、1970年代にトルコと同じような環境下にあったチリ、アルゼンチン、ブラジルなどの地域では絶対に起こり得ないことである。

 チリ国民は、選挙によって誕生した初の社会主義大統領アジェンデを引き摺り下ろしたピノチェト将軍を決して許そうとはしなかった。現ブラジル大統領ルーラは、左派の再統合に成功した労働組合員であり、今日のブラジルを輝かしい功績と共に率いている。ギリシャ史上、最も深刻な財政難からの脱却を目指すパパンドレウ首相は、“将校の軍事政権”に際して、最も勇気ある抵抗を行ったアンドレアス・パパンドレウの息子であり、全ギリシャ社会主義運動(PASOK)の左派的伝統とは切れていない。クーデターが発生した南アメリカや地中海諸国のいずれも、過去を清算したために民主主義が力を持ち、国に根付いた。

 トルコは、この「清算」を行うのにこれらの国々に比べ30年も遅れを取っている。国会は遂に清算の第一歩を踏み出した。演壇における演説や、祝賀や抱擁を目にすると、我々の見ている構図が奇妙に思えてくる。このような熱狂をCHPに期待していたが、AKP党員たちが、(AKP所属の)イスタンブル選出議員アイシェヌール・バフチェカプルと抱擁を交わしていた。バフチェカプル議員は左翼の政治家で、ネブザット・チェリキの「夜明けの歌」という詩を演壇で朗読した。

ここに来ないで、母さん/ 入り口で私のことを尋ねないで/ 命運も尽きたみたい/ 嘆かないで、母さん/ 泣かないで/ いつから鬚を剃ってないだろう/ 暁の光明を見たかった/ 体は休めていても/ 耳はそばだてている/ 死が恋しくなった、母さん

 バフチェカプル議員は、「戒厳令下の裁判所で青春を犠牲にし、拷問により命を落とした若者たちに敬意を表したいと思います。本日暫定15条の成立へ賛成票を投じた一人の国会議員として、枕を高くして眠ることが出来そうです。わずかであれ、ほっとすることになるでしょう」と語った。

 文化相のエルトゥールル・ギュナイも、9月12日クーデターの被害者である旧CHP党員として、以下のように述べている。
「これから先、我々が高齢の将校たちを法廷に出頭させるか、天の裁きが行われるのを見届けることになるでしょう。でも、なにがしかのことを行います。トルコの法律は今日初めて国民が選んだ議会によって“クーデターを起こした人物を裁判にかけ、問いただすことができる”と言っているのです。そういう時が来たのです。クーデターが発生した際、パキスタンでは、高等裁判所の裁判官たちがそのローブを脱いで、クーデターを引き起こした者たちに従いませんでした。トルコではそうした立場の者は、クーデターを起こした人物の前で、“命令を、将軍”と言ったのです。」

 AKP党員のブルハン・クズ議員も「憲法上クーデターを認める条文など果たしてありうるのでしょうか?この権利だって、どうして国民が寝静まった後に認めたのでしょう?」と疑問を呈した。

 暫定15条が憲法から廃止されることはトルコ史上の大きな進歩となる。このような日を、CHP党員が実現するのを望んでいた!

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( 翻訳者:沓澤実紗子 )
( 記事ID:18999 )