総主教の弁護士、ギリシャ訪問の首相に総主教の同道をもとめる
2010年05月09日付 Hurriyet 紙

フェネル・ギリシャ正教会総主教バルトロメオス一世の弁護士兼顧問であるケズバン・ハテミ氏はタイイプ・エルドアン首相の5月14、15日に行うギリシャ訪問に総主教も招待される可能性があると、述べた。

ハテミ氏は政府がこの一歩を真剣に検討していると述べ、「エルドアン首相がアテネへ行く際、総主教も同行すればトルコの重要性を示すことになる。これは、1千万の人口のギリシャに対し、3億のギリシャ正教徒を味方につけ、アテネに乗り込むという意味になる。大きな反響があるだろう」と述べた。ハテミ氏は、このことは、自分たちを人質のように感じているトルコのギリシャ正教徒たちに対し、トルコ政府が「あなたたちの面倒をしっかり見る」というメッセージを送ることにもなるだろうと述べた。ハテミ氏はまた、神学校の開校の準備が最終段階に来ていると説明し、県国民教育局長の電話一本で学校が再開できると指摘し、次のように続けた。

■アテネ随行へ、公式な招待が来る可能性がある

 私が期待しているのは、エルドアン首相がアテネに行く際、総主教も同行し、トルコ共和国の重要性を示すことである。これがどういう意味か皆さんはご存知だろうか?1千万の人口のギリシャに対し、3億のギリシャ正教徒を味方につけ、アテネに乗り込む、という意味である。大騒ぎになるだろう。すぐにも、アメリカからアテネへジャンボジェット機が到着し、人々がアテネに押し寄せる。トルコはすでに、透明で、民主化し、あらゆる類の豊かさの意味を理解する国になったことを世界に示さなければならない。私の見解では、政府はこれを非常に真剣に考えており、積極的な決定を下すだろうし、そうすべきである。総主教にはまだこの件について公式な通知は届いていないが、いつ来てもおかしくない状況だ。

■ヴァチカンとの比較は間違いである

 総主教がエキュメニカル総主教(世界総主教)だと宣言することは、世俗主義のトルコにとってはどうでもいいことだ。世界総主教はギリシャ正教派のシンボルであり、キリスト教徒たちの間での一つのシンボルでもある。私たちには関係がない。トルコにとってはどうでもいいことだ。

 「我々はヴァチカンになる」という妄想にとりつかれた連中はものを知らない。なによりヴァチカンになるために領土が必要だ。しかし、総主教はそのような要求はしていないし、ギリシャ正教会からもない。教会は全て自由で、総主教はフェネル教会をもっているだけだ。総主教は他の教会には招待された場合のみ訪問する。総主教は政府の管理下にあり、トルコはEU加盟プロセスのなかでもこの態度を示した。

■神学校問題は最終段階

前国民教育大臣のヒュセイン・チェリキ氏は神学校問題にはなんの法的な障害も無いといい、「今日にも開校の準備が整う」と述べていた。現在のニメト・チュブクチュ国民教育大臣も同じ方向の見解を示している。閣議において、また国家安全保障協議会において議論された。以前、元高等教育機構のエルドアン・テジチ局長が解決策を模索した。エルドアン首相は昨年、ビュユクアダ島で各宗派のリーダーたちと会談を行い、前述のように、積極的なメッセージを送った。しかし、悲しいことに明らかな心理的抵抗をもつ人々がおり、かれらを黙らせるのは困難だ。公正発展党も均質の政党ではなく、抵抗勢力がいる。

■ただ一本の電話で解決する

(閉校措置が取られたときは)イスタンブル県国民教育局が学校に文書を送り、「憲法上の問題があるため、そちらの神学部を閉鎖した」と告げた。しかし、省からの連絡は政府の文書室に残っていない。私は政府の文書室にこのような文書があるとは思わない。もしあったとしたら、とっくに言及されているはずだ。あの事件は、完全にキプロス問題の関連した政治的見解によって発生したものだ。
 学校は実際には閉鎖されているわけではない。学校のトルコ人学長はまだ給料を受けており、図書館も開いているが、全く学生がこないだけだ。政治的な決定がなくとも解決され得る話である。閉鎖を行ったときと同じように、県国民教育局から文書がくればすむ。さらには、国民教育局が一本の電話をかけさえすれば、学校は閉鎖されたところから再出発することができるのだ。

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( 翻訳者:清川智美 )
( 記事ID:19071 )