テロリスト5名の処刑について、テヘラン検事長が説明(2)
2010年05月16日付 Jam-e Jam 紙

 テヘラン検事長は、処刑された犯人の家族が西洋のマスコミに対して、被告らが6分間の即決裁判で裁かれたとの疑惑を訴えていることについて、次のように述べた。「処刑された犯人たちはイラン暦1385年5月28日(2006年8月19日)に逮捕され、イラン暦1386年4月1日(2007年6月22日)、つまり逮捕されてから1年後に起訴状が発行された。そしてイラン暦1386年11月10日(2008年1月30日)に起訴状が裁判所へと送られ、彼らの裁判が行われた。判決はイラン暦1386年12月6日(2008年2月25日)に被告らへと伝えられ、彼らの異議申し立てにより、本件は最高裁へと送られ、イラン暦1387年12月10日(2009年2月28日)、つまり〔初審での判決から〕1年後に最高裁で支持された」。

 同氏はその上で、「裁判はイラン暦1385年8月25日(2006年11月16日)に始まり、イラン暦1387年12月10日(2009年2月28日)に結審する、という経緯をたどった。そして、刑の執行はイラン暦1389年(2010年)に行われた。つまり、被告らの容疑を審理する過程に4年もかかっているのだ」。

 テヘラン検事長は、死刑判決を執行された5人全員がPJAKのメンバーであったのかとの問いに対し、「ファルザード・キャマーンギャル、ファルハード・ヴァキーリー、アリー・ヘイダリヤーン、シーリーン・アラムフーリーの4名はPJAKのメンバーであった」と回答し、5人目の死刑囚マフディー・エスラーミヤーンについては、「彼は反革命グループ『トンダル』(稲妻)のメンバーで、14人近くの敬虔なシーラーズ市民を殉教へと至らしめた、同市のホセイニーイェ『ラフプーヤーネ・ヴェサール』爆破事件に関わっていた」と語った。

ムーサヴィーへの対応

 司法権高官のジャアファリー=ドウラトアーバーディー氏はまた、選挙で敗れた候補者の一人(ミール・ホセイン・ムーサヴィー)が声明の中で処刑を非難したことについて、次のように指摘した。「テロ行為を行い、複数の市民を殉教させ、武器の所持が発覚し、イスラーム体制に反旗を翻した人間を擁護することに、どういう意味があるのだろうか?イマーム・ホメイニーの路線の信奉者を自称する人間が、敵意をもった集団への抵抗を主張したイマームの教えをどうして忘れることができるというのだ」。

 ジャアファリー=ドウラトアーバーディー氏はさらに、「イマーム閣下のご判断に基づいて、偽善者らの処刑が行われたまさにそのころ、彼は首相であった〔※1988年に反体制組織人民聖戦士機構(MKO)のメンバー約3千人が大量処刑されたことを指す〕。もしこのような主張をお持ちなら〔=クルド反体制組織のメンバーらの処刑に反対なら〕、どうして当時、彼は〔首相として体制に〕仕えていたのか」と続け、「彼や、先の選挙で落選したもう一人の候補者〔=メフディー・キャッルービー〕が取っている立場の多くは、それ自体犯罪である。しかし彼らを訴追するにあたって、イスラーム体制は公益に基づいて行動する。それ〔=ムーサヴィーやキャッルービーの訴追〕については、適当な時期に委ねているのだ」と明言した。

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( 翻訳者:長島太郎 )
( 記事ID:19184 )