80年間ボンジュクで暮らしを立てる村
2010年05月30日付 Radikal 紙

トルコの手作りのガラス製ナザルボンジュウのほとんどは、イズミルのケマルパシャ郡に属するナザル村で作られている。

トルコの国内市場と国外に輸出される手作りのガラス製ナザルボンジュウのほとんどはイズミルのケマルパシャ郡に属するナザル村で生産されている。

基本的な生計を約80年間ガラス製のボンジュク生産で立ててきたナザル村の住人は特に中国から入ってくる安価なプラスチック製のボンジュクが市場で拡大したことで苦しい日々を送り、ボンジュクの窯の数を16から4つに減らざるを得なかった。しかし、そんな状況の中でも村で行われた調整と、生産者たちの努力によって窯の数を8まで増やすことに成功した。

ボンジュク生産者たちは、ケマルパシャ郡のユクセル・トパル郡知事の支援を受けており、村で生産されたガラス製品をより多くの人に紹介するため、たくさんの土産店がある新しい村の広場のプロジェクトを1年前に始めた。それによりナザル村は特に週末には地元民と外国人旅行者が立ち寄り、良い天気の中で観光したり、買い物をしたり、村の女性たちが作った食事を味わったりする魅力的な場所になった。

村では来てくれた客に、各窯で5人が薪の火の熱で非常に過酷な状況で働いている様子も見てもらい、買ったボンジュクがどのように作られているかを見る機会を提供している。ナザル村は木々や道までもボンジュクで飾られ、客人たちに、サクランボやクルミの木の木陰での郷土料理や手工芸品で彩られたいつもとは違う一日を約束している。

ボンジュク窯の管理者であるネジュラ・シャーヒン氏は、80年以上村でボンジュクが生産されたこと、また3年前に中国製のボンジュクが市場に入りこの伝統工芸品が消滅の危険に直面したと語った。

シャーヒン氏は村の窯の数が16から4つにまで落ち、様々な解決策を模索したと語り、次のように述べた。「私たちの先祖から受け継がれたこの工芸品を失わないために努力しており、全ての方法を試しています。村で行われた調整によってより知られるようになり、このようにして窯の数を今年8つにまで増やすことに成功しました。しかし、まだ納得できる数ではありません。」

「ナザルボンジュウがプラスチックなんて有り得ない」
シャーヒン氏はナザルボンジュウとして定義されているボンジュク類は必ずガラスでなければならず、このボンジュクは薪の火で900℃近くの熱によってしか作ることはできないと述べた。更にシャーヒン氏は、国民がボンジュクというアナトリアの文化の重要なシンボルを買う際には、プラスチックではないものを選んでほしいと述べた。

ユネスコによって2003年に承認され、トルコも2006年に加わった「無形文化遺産保護条約」の枠組みにおいて文化観光省から与えられる「人間国宝」賞候補に今年ナザルボンジュウの生産で受賞する権利を獲得した生産者のマフムト・スュル氏は、大きな利益は得られず、過酷な環境にもかかわらず、村の住民は生産を諦めなかったと語った。

スュル氏は、製品をより広く紹介するために生産者側にも義務があり、コミュニケーション時代において、製品と文化を紹介することを望む者はより組織化した活動をすることが必要であると指摘した。また、スュル氏は次のように語った。「トルコは自身のこの美しくて特別な文化を全世界に紹介しなければなりません。私たちも、多くの人に私たちの仕事を知ってもらうために、またより多く訪れてもらうために適切な環境を作り上げる努力をしました。私たちは良質で傷のない製品と清潔で適切な環境作りが私たちの状況をより良くしてくれると考えています」

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( 翻訳者:清川智美 )
( 記事ID:19275 )