イスラエル総領事館前で抗議の大集会―イスタンブル
2010年05月31日付 Milliyet 紙


パレスチナに人道的な支援を届けることをめざしていた「ガザ自由艦隊」にイスラエル軍によって攻撃が行われ、死者と怪我人がでたというニュースに、イスラエルの駐イスタンブル領事館の前で座り込みをしていた人々は騒然となった。

イスラエル軍によるガザ支援船拿捕を受け、抗議団体のうち激しい怒りをあらわにした300人近い人々が在トルコイスラエル領事館に侵入しようとし、デモ隊と警察が衝突した。警察は、抗議団体を加圧水や唐辛子スプレー(催涙スプレー)で遠ざけた。抗議団体の一部では、領事館の建物に石を投げる人もいた。これにより建物の何枚かの窓が割れた。

在イスタンブル・イスラエル総領事館の前の緊迫は、イスラエルの2隻が、ガザに何トンもの支援物資を運搬しようとしていた数百人の平和運動家と人権保護活動家による「行き先はパレスチナ、積み荷は人道支援(パレスチナ人道支援)」キャンペーンの一環で出発した「ガザ自由艦隊」を追跡したことにより始まった。午後0時30分からトルコとパレスチナの旗を手にした人々が総領事館の前に集まり始めた。刻一刻と抗議者の数は増えていった。「殺人者イスラエル、船に手をだすな」と書かれたプラカードを掲げた人々は、「イスラエルよ驚くな、私たちを怒らせるな」「たとえどれほど血が流れても、我々はアル・アクサー・モスク[訳者注1]を救う」というスローガンを掲げた。抗議団体の数が増えたため、警察の応援部隊が総領事館に送られた。機動部隊が総領事館の周囲で広域警戒態勢をとった。

■イスラエル旗が燃やされた

およそ1時間のうちに総領事館の前の抗議者たちの数は約3000人に達した。抗議活動の間、イスラエルの旗が燃やされた。ビュユクデレ通りにまであふれ出た群集により、交通渋滞が起きた。「私たちは(イスタンブルを征服した)征服王スルタン・メフメトの子孫である。私たちはシオニズムの敵である」というプラカードを掲げた抗議団体は、「支援船がガザにたどり着くまで私たちはここを動かない」と叫んだ。

■総領事館へ侵入しようとした

イスラエル兵が支援船に軍事行動を仕掛け、死者および負傷者が出たという報道が流れると、在イスタンブル・イスラエル総領事館の前の緊張はさらに高まった。抗議団体のうち300人近い人々が午後5時頃総領事館へ侵入しようとした。警察が入館を許可しなかったため、デモ隊と警察の間で衝突が起きた。警察のバリケードは抗議団体によって破られた。警察は集まった人々に対し、加圧水と唐辛子スプレー(催涙スプレー)を撒いて遠ざけた。デモ隊は警察に「あなたたちもイスラム教徒だし、私たちもイスラム教徒だ。イスラム教徒がイスラム教徒に対してどうしてこんなことができるのか」と反発した。抗議者たちは、座り込みを始めた。

■領事館の建物に投石

怒り心頭の抗議者たちのなかには、総領事館の建物に石を投げた人もいた。投げられた石の一部は機動隊の盾にあたった。総領事館の建物の窓が割られた。

在イスタンブルイスラエル総領事館の前の人だかりは増加の一途である。人々は抗議活動のために総領事館の前に集まっている。人々のなかにはコーランを朗読し祈る人もいる。また、総領事館の前には記者であり作家でもあるアブドュッラフマン・ディリパク氏も来た。ディリパク氏は、人々への演説で、「(イスラエルの)挑発に乗ってはいけない。どうぞ穏やかに。今後、アンカラや他の地域からも人々は来るでしょう。ここで集まりましょう。イスラエルはあなたたちが挑発に乗ることを望んでいるのです。この挑発に乗ってはいけない」と話した。

一方、レヴェント地区では、「地中海」像[訳者注2]の頭が1枚の布で覆われ、その上にパレスチナの旗が広げられた。像の右手にはアル・アクサー・モスクをかたどった旗が乗せられた。

訳者注1:エルサレム旧市街にある歴史的なモスク。イスラム教徒にとって、エルサレムを象徴する建物となっている。

訳者注2:イルハン・コマンによる像
http://www.koman.org/work/work_1978-80akdeniz.html

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( 翻訳者:萩原絵理香 )
( 記事ID:19289 )