イスラエルから帰国の被害者たち、怒りの証言
2010年06月03日付 Zaman紙


■イスラエルから帰国の被害者たち、恐怖を証言

スウェーデンから参加しガザ支援船に乗組み、イスラエル軍による攻撃から九死に一生をえた支援活動家らは、経験した恐怖を赤裸々に語った。

■「彼らは私の腰に撃ち込まれた2個の銃弾を、麻酔もかけずにニッパでとりだしました」

イズミル出身の支援活動家ムサ・チョアシュ氏は、マーヴィマルマラ号への攻撃で負傷した。イスラエル兵により腰に撃ち込まれた二つの銃弾を、イスラエル人医師が麻酔なしで、ニッパで取り出したと彼は話した。
チョアシュ氏は法医学研究所での取り調べののち会見を行い、銃弾を取り出すのに「ここのやり方で麻酔する」と聞いたが、おそらく何もしていなかったと述べた。支援船がイスラエル南部アシュドットに着くまでの12時間、銃弾が腰に入ったままでした。大動脈がドクドクト脈打っていました。本当に精神がおかしくなりそうでした。彼らは私をレーザー銃で撃ってきました。ピストルは3,4種類ありました。

■「デッキに並べさせられ、海水で『氷の拷問』を受けました」

イスラエル軍の攻撃を受けたアナトリア通信記者ユジェル・ヴェリオール氏は、法医学研究所の前で、新聞記者らに対し、事件に関する会見を開いた。彼は、もっとも過酷な拷問は船のデッキで起こったと述べた。「絶えずヘリや船が来た。彼らは我々を船の二階に上げた。床は湿っていた。そしてわれわれの腕を縛りあげたのだ。そして我々の上にわざとヘリを旋回させ、ヘリがまき上げた海の水をわれわれにかけてきた。外は寒く、『氷の拷問』であった」と話した。ヴェリオール氏は、アシュドット港ではたくさんのイスラエル兵が船を待ち構えており、船を英雄のように拍手で出迎えたと話し、「その時、『我々はもうここから逃げ出せない。ここに残るしかない』と思った」と話した。彼には妊娠中の妻がおり、「我々自身のことよりも、ここに留め置かれるのではと考えた。連絡が取れなかった」と話した。

■「イスラエル関係者は、彼らの書類へのサインを断ると、殴りつけた」

ガザ支援船で物資を送る際、乗船していたアメリカ人のポール・ラルディー氏(64)は拿捕された際、イスラエル関係者に、何点かの書類にサインをするよう求めら、命令に応じないと殴られたと話した。
ギリシャ人31名とフランス人3名の平和活動家とともにギリシャのエレフシナ空港に着いたラルディー氏は、殴られたにもかかわらず骨は折れなかったのは不幸中の幸いだったと述べた。
自国に戻ったギリシャの支援活動家も会見を行い、イスラエル側特殊部隊は、抵抗しなかったのに銃で撃ったことや、電気ショックを用いたこと、拿捕された際にも暴行を受けたこと、一睡たりともゆるされなかったこと、精神的拷問を受けたことを話した。

■「軍と衝突しました。でも、私達は戦うためではなく、支援しに行ったのです」

支援活動家の一員で、国に帰ったギョルジュクル・イスマイル・バイラクル氏は、「最悪の事態を逃れるために私達は降伏しました。確かに衝突はしましたが、私達は戦うためではなく支援しに行ったのです」と話した。バイラクル氏は、トルコ西北部コジェエリ県ギョルジュク郡の家で家族と抱擁し、恐怖の体験を説明した。
バイラクル氏は、イスラエル軍が一方から火をつけ、もう一方からはガス爆弾、音爆弾を投げたと説明し、「大きな爆発音がして、われわれは手にした棒で抵抗した。3人のイスラエル兵は捕虜となった。このため兵士らは大変恐れていた。20分間の衝突で、多くの犠牲者がでた。イスラエル兵は大変臆病であったので、こうした殺人を行った。無防備の人にも3,4人の軍人が攻撃していた」と話した。

■攻撃の様子を撮影するトルコ人カメラマンをかばって

アタテュルク研究教育病院で治療を受けている負傷者19名の一人、支援活動家ムハッレム・ギュネシュ氏は、イスラエル兵が船に乗り込む際に、空中ですでに銃を放っていたと話した。
ギュネシュ氏は抵抗している際に、顔に銃弾があたった。彼は、出来事をありのまま、即座に世界に報じるカメラマンを殺すことは許されないとして、勇敢な行動に出た。倒れたカメラマンを撃つなと言って、上に覆いかぶさったギュネシュ氏がわずかに動くのを見たイスラエル兵は、彼の頭に銃を放ったという。
ギュネシュ氏の顔に当たった銃弾は喉を突きぬけた。顔じゅう血だらけになったギュネシュ氏だが、現在の状況は良好である。

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(翻訳者:木村納菜)
(記事ID:19324)