アブデュルハミト2世の孫、オスマン・ナーミー・オスマンオール氏死去
2010年07月15日付 Zaman 紙


アブドゥルハミト2世の孫であるオスマン・ナーミー・オスマンオール氏(93)がスィヤミ・ヘルセキ病院の集中治療室での治療の末死去した。

アブドゥルハミト2世の娘アイシェ・スルタンと(フランスの委任統治期に)シリアで元首を務めたアフメト・ナーミー・ベイの息子であるオスマン・ナーミー・オスマンオール氏は、心臓疾患で治療を受けていたスィヤミ・エルセキ病院の集中治療室で死去した。オスマンオール氏は6月5日から入院していた。

93歳のオスマン・ナーミー・オスマンオール氏は1ヶ月半前に体調を崩し、最初の治療は長い間生活していたマルマリスにあるアフ・ヘクマン特別診療所で行われた。その後保健省が手配した特別救急ヘリによりイスタンブルに搬送され、スィヤミ・エルセキ病院の集中治療室で治療を受けていた。

スルタンの子孫であるオスマン・ナーミー・オスマンオール氏は、アブドゥルハミト2世の生前最後の孫であり、存命中の王族の中で最高齢であった。

彼は1918年スイスのジュネーヴに生まれ、1924年に家族とともにスィルケジ駅でシャルク特急に乗せられ追放された。

パリで機械・放射線学の教育を受け、放射線専門技師としてフランスとチュニジアで勤めた。

1974年に家族とともに50年間の追放生活の後トルコへ帰還し、1975年にトルコ国籍の取得が認められた。その後はイスタンブルとマルマリスのヒサルオニュで生活し、一度も国を離れることはなかった。

引退後は多くの時間を絵画に費やした彼は、最初の妻アイシェ・アディレさんとの間にメディハ・シュクリエさん、フェトヒエ・ニメトさん、アイシェ・アディレさんの3人の娘、ドイツ国籍の2番目の妻ロトラウド・ミュシュフィカさんとの間にギュルヌル・ドロシーさんとアイテン・ソフィアさんの2人の娘をもうけ、さらに7人の孫と1人のひ孫がいる。

■ギュル大統領から哀悼のメッセージ

アブドゥッラー・ギュル大統領は、オスマン家の一員オスマン・ナーミー・オスマンオール氏が亡くなったことを受け、哀悼のメッセージを発表した。

大統領府広報により行われた発表によると、アブドゥッラー・ギュル大統領のメッセージは以下の通りである。

「偉大なるトルコの歴史において最も重要な時代のひとつを代表するオスマン家の一員、オスマン・ナーミー・オスマンオールさんのご逝去に深い悲しみを感じております。

オスマンオールさんにアッラーのお慈悲がありますように、そしてご家族に哀悼の意を表明いたします。

■ザマン紙の日曜版で

3人がフランスに、1人がメキシコに、もう一人がメルスィンに住む彼の娘たちは、父親のもとを離れなかった。7月11日に彼女たちは父親や追放の日々、そしてオスマン家についてザマン紙の日曜版でコメントした。

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( 翻訳者:大門志織 )
( 記事ID:19692 )