イタリア、PKK首脳トーチュを釈放
2010年08月15日付 Milliyet 紙


トルコがイタリアからの送還を求めていたPKK首脳ニザメッティン・トーチュが、監視付きで釈放された。トーチュは、1994年に国外逃亡していた。

PKK首脳ニザメッティン・トーチュ(58)は、休暇で訪れたイタリアにおいて、7月18日パドヴァ県近郊アルビニャーゼゴ町で身柄を拘束された。トーチュは、その時から現在までパドヴァ刑務所で拘留されていた。ヴェネツィア控訴裁判所は、以前、7月23日と30日に行われた最初の2回の公判において、トーチュの(危険に対する)予防拘禁を続けることを適当と判断し、弁護士たちの被告人釈放要求を精査することについては後の公判に延期した。

■危険ではない

先日行われた3回目の公判で、検察はトーチュが公共の安全の観点から、危険ではないという主張によって、住所を明らかにすることと、警察署において署名を行い、監視下に置かれることで釈放が十分に可能であるとの見解を示した。公判は、裁判所が指定居住地の選択肢を後に検討し、決定と共に明らかにすることで閉廷した。

■指定居住地

ヴェネツィア控訴裁判所は、昨日トーチュに関して検察と弁護士たちが要望した条件付き釈放の要求は妥当であるとの判断を下した。
担当の裁判官は、先日行われた公判の後に行われた審議の結果、イタリアで捕えられた後、パドヴァ刑務所に拘禁されているトーチュの予防拘禁の状態を終了すること、そして、トルコの送還要求を受け入れるまで、被告人は指定居住地で当然軟禁されることを決定した。
以前に、アブドゥッラー・オジャランの弁護士も務めたアルツロ・サレルニ氏は、ヴェネツィア控訴裁判所が昨日の公判の後、トーチュに関する条件付き釈放要求をすぐに決定したことをうれしく思っているとし、「依頼人(トーチュ)はパドヴァ刑務所から出所しました。裁判所は、トルコから来た送還要求を受け入れるまで、依頼人がイタリアで、指定居住地において当然軟禁されることを妥当とみなしました。我々は、依頼人のために、パドヴァ近郊のある町における居住地の住所を知らせました。彼自身はそこに引っ越したところです。そこに居住し、警察署で定期的に署名を行う予定です。」と話した。

■元SHP(社会民主人民党)国会議員

ニザメッティン・トーチュは、トルコで暮らしていた期間、1991年にSHPから国会議員に選出され、その後、HEP(人民労働党)の設立に貢献した。HEP解党直後にDEP(民主党)に移ったトーチュは、DEPの1994年における解党と追訴免除が起きた後、逮捕を逃れるためヨーロッパに逃亡した国会議員らのうちの一人である。トーチュは、1994年から現在まで、初め政治亡命権を、その後市民権を獲得したオランダで生活しており、ヨーロッパ・クルド協会連盟の会長を務めている。

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( 翻訳者:能勢美紀 )
( 記事ID:19950 )