ラマダーン中だけのヒジャーブ着用に批判
2010年09月02日付 Al-Ahram 紙

■ヒジャーブはラマダーン中のみの義務ではない

2010年9月2日『アル=アハラーム』HP1面

【ムハンマド・ファトヒー・アブドゥルアール】

ラマダーン月において、女性たちの間で奇妙なことが広まっている。というのも、その聖なる月が来るのと同時にヒジャーブを身につけ、翌月にははずしてしまう女性がいるのである。そうすることによって彼女たちは、神に従い、断食の義務を完ぺきに果たしたことになると信じている。

このような最近の風潮についてアズハル大学の信仰と哲学の教授であるサルワー・ユーニスは、神への服従は時期によって区別されるものではなく、神の命令はいつでも、そしてどこでも遵守するもので、すべての女性がその義務を守らなくてはならないとした上で、中でも、あらゆる行いに際してイスラーム的服装をしているという義務は守らなくてはならない、それ[イスラーム的服装]によって、他の宗教の女性たちとムスリム女性が区別されるからだと述べた。

また続けて、預言者(彼に平安あれ)が「どこにいようとも神を畏れよ」といった通り、ヒジャーブをして過ごす個々人の普段の生活があってはじめてラマダーン月は有益なのでありその逆ではないと述べた。同教授は、ヒジャーブは単なる宗教的シンボルではなく、ムスリム女性を守るものであり、更に女性が果たすべき義務でもあると述べ、一時的にしかその義務を果たさないということは、偽善的崇拝と言える、つまり、そのような事をする人は、周囲の人々に対し自分を偽っており、周りの言うことを恐れ、人々の胸の奥の秘密までご存じの最も偉大な創造主のことを忘れてしまうとも指摘した。

ユーニス氏はラマダーン月における精神的な側面はヒジャーブの着用なしには完了しないと明言し、ヒジャーブは、神が与えた義務を果たしているとの自覚によって、ムスリム女性の立居振る舞いを変えると付け加えた。また、女性にヒジャーブを押しつけているとしばしば言われることについては、「女性が恥辱の井戸に落ちるのを防ぐということがイスラームの命ずるところであり、着飾るための言い訳を封じるヒジャーブはイスラーム法による女性へのすばらしい配慮のひとつである。」と述べた。

それ[ヒジャーブ着用]は、神と預言者(彼に平安あれ)の命令、そして神がヒジャーブと貞潔を命じた預言者の妻たちの規範に従うことである。そして親には自分の娘に小さい時からヒジャーブ着用を練習させるという大きな役割がある。もちろんそこでは母親が手本となる。娘たちも母親がヒジャーブをしているのを見てするようになるのである。

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( 翻訳者:石塚慎平 )
( 記事ID:20100 )