熱狂!U2オリンピックスタジアム・コンサートの経済的側面
2010年09月07日付 Hurriyet 紙

トルコで初めてのU2のコンサートにつめかけたファンは7万5000人だった。チケット価格は50トルコリラからはじまり、ヨーロッパで最も安価でのU2のコンサートが実現した。イスタンブル2010年ヨーロッパ文化首都局による100万ドルの援助により、チケット価格はヨーロッパの最下値になった。コンサートの収益金は1500万リラであった。

世界的に有名なロックグループであるU2の『360°ツアー』の一環としてイスタンブルで行われたコンサートに約7万5000人のファンがつめかけた。チケット価格が平均で200リラであるU2 のコンサートに、1500万リラが費やされた。アタテュルク・オリンピックスタジアムは、スタジアム史上最も大規模なコンサートを記録し、U2の外国人のファン1万人をも魅了した。イスタンブル2010年ヨーロッパ文化首都局(AKB)のシェキップ・アブダギッチュ推進局長は、自局の援助で実現したチケットの低価格さが注目を浴びたことに言及し、「コンサートのために100万ドルの援助金を出しました。これによりチケット価格をヨーロッパでの開催よりも一層下げることができたのです」と語った。

■関心は大

シェキップ・アブダギッチュ推進局長はコンサートへの関心に満足していると言い、次のように評価した。「イスタンブルの名を知らしめる重大なコンサートになりました。とても興味が高かった。チケット価格を下げるようつとめることもしました。コンサートに100万ドルの援助金を出しました。この援助により、値下げできました。U2のトルココンサートで、トルコはチケット価格において最前線に躍りで、ヨーロッパでの開催と比較して、より安く見ることができたのです。」

(中略)

■ラッキーな2500人

アタテュルク・オリンピックスタジアムに早々に集まったU2のファンは100トルコリラでピッチ内でのコンサートを観覧した。ピッチ内のチケットを持った音楽ファンの最初の2500人はU2を最前列で見られてラッキーだった。

■1986年、社会派活動開始

ボノをリーダーとするU2の政治的な運動と支援への関心は1986年に始まった。
U2は1986年にスティングと共にアムネスティの『Conspiracy Of Hope』ツアーで全米をまわった。

ボブ・ゲルドフによって組織され、バンドエイドとライブエイドの企画でステージを占めた。ゲルドフとボノは『2005Live8』と称した企画を共に実現させた。

1999年以来ボノは第3世界の負債を一掃すること、そして特にアフリカで深刻な問題となっているエイズのキャンペーンを支援した。2005年にアーティストのローガン・グレゴリーと共に、アフリカに目を向け、支援の一環としての貿易を実現させるためにEDUNを開始した。EDUNの目的はアフリカ、南アメリカ、そしてインドにある工場を使用可能状態にすること、公正な賃金政策と仕事での道徳の実践をすすめて、発展途上国の投資を促すこと、良いお手本を示すこと、であった。

■数字でみるU2のコンサート

舞台設置の設置人数 600人
スタジアムでの稼働人数 1000人
インフラ設置に130台のTIR車両使用
インフラにかかった合計時間 48時間
ビデオスクリーンの部品の数 100万個
コンサートの準備にかかった日数 10日

■ 楽器の価値 1億5000万ドル

ボノをはじめ4人から成るU2のグループの楽器の値段は1億5000万だった。ツアーからツアーへ運ぶ物の重量は390トンに及んだ。
2005年に行われた『Vertigo』ツアーで得た収益金は3億8千900万ドルだった。グループの、夏の間に行われるすべてのコンサートのチケットは、何か月も前にソールドアウトした。

■アタテュルク・オリンピックスタジアムを日に4万トルコリラで貸した

史上最大級のコンサートを企画し、その会場となったアタテュルク・オリンピックスタジアムで10日間に及ぶ準備がなされた。イスタンブルオリンピック開催準備及び調整委員長のヤルチュン・アクソイ氏は、次のように情報を公開した。「アタテュルク・オリンピックスタジアムのコンサートは非常に興味をもたれている。U2はコンサートの準備とコンサート後の作業のために10日間スタジアムを借りました。1日の借料が4万リラなのでスタジアムに40万リラが支払われました。U2のコンサートはスタジアム史上初でした。初めてこれほどまで偉大なグループがここでコンサートをしたのです。このタイプの企画は、特別な試合と宣伝撮影用に特別な料金となります。それに従って、U2はスタジアムを借りたのです。このような大規模な企画の会場になったということはとても重要なことでした。」

■ミラノ―リヴァプールの試合のために支払われた額、150万ドル

年間で少なくとも100万ドルを稼いでいるアタテュルク・オリンピックスタジアムでは、収益記録は、2004-2005年のチャンピオンズリーグの決勝戦の際に作られた。この年の決勝戦の会場となったスタジアムの収益金は約300万トルコリラだった。ミラノ―リヴァプールが対決した試合では UEFAに150万ドルで貸した。年間25試合が行われるスタジアムは、昨年一年間で150万トルコリラの収益を手にした。

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( 翻訳者:大嶽真梨子 )
( 記事ID:20109 )