MURAT YETKİNコラム:共和人民党の失策とそのつけ
2010年09月18日付 Radikal 紙

まず私は読者の一部には馬鹿げたことのように感じられる次のような判断をしなければならない。2010年9月12日の国民投票で「反対」票が42%に上ったことは実のところ「反対」の前線に立つ者の観点から、特にその過半数を形成する共和人民党(CHP)投票者の観点からは、大敗ではなく奇跡である。
それは何故か?国をタイイプ・エルドアン首相と公正発展党(AKP)政府が統治していなければ、この国民投票で投票に行って「反対」票を投じたCHP党員とCHP以外の左派の投票者の多く―おそらく司法に関する2つの条項を除き―この改正に「賛成」票を投ずることもありえただろうし、もしくはCHPより左よりの投票者のうちおそらく平和民主党(BDP)のボイコットに参加し、「ひょい」と無効キャンペーンを行う者も現れただろうからである。
しかし、タイイプ・エルドアン首相とAKP政権への反発と懸念を除いて、例えば、1980年クーデターの実行者の罪を裁判で問う可能性や(国民投票で)憲法改正が可決される可能性、あるいは不十分ではあるにしろ団体交渉権(労働者の権利)の拡大や司法における軍事法廷の権限の縮小と文民法廷の権限の拡大に関して、CHP支持層や多くの左派の有権者に反対票を投じさせるだけの理由は存在しなかった。
これを理解するためには実のところ―最近ではタルハン・エルデム氏の後塵を拝してはいるが―昨日ヒュッリイェト紙で発表されたアディル・ギュル氏のアンケートの「なぜ反対したのか?」という問いの答えを見るだけで十分である。
これらの答えの中に法案の内容に関することは含まれていない。裁判に関するものも含め大多数はエルドアン首相とAKP政権に反対するために法案に「反対」を唱えたのだ。
もう1つ別の証拠は、現役時のデニズ・バイカル前党首と後のケマル・クルチダルオール党首による憲法裁判所と裁判官・検察官高等委員会に関する2つの条項を除きCHPが法案を認めるという声明である。
CHPは当時国会での議論でなぜその2条項以外の条項の投票に参加して賛成しなかったのか。そうしていれば、おそらく問題が国民投票に委ねられる前に解決し、その2つの条項はおそらく無効となり、国民投票が行われたとしても問題は政治的両極化ではなく、あまり緊張を伴わない技術的議論の範囲に留まりえたはずだ。
しかし実のところCHPの戦略的失策はこのことではない。さらには、エルドアン首相への投票者の支持がAKP以上になったことを見ると、本当の失策はそれ以前に犯されていた。

■キョクサル・トプタンの提案を拒絶
CHPは、ケマル・クルチダルオール党首ではなくデニズ・バイカル前党首のもとで戦略的失策を犯した。このミスは、当時のキョクサル・トプタン国会議長が2008年9月4日に国会での4政党におこなった呼びかけに拒絶の回答をしたことであった。
思い出してみよう。トプタン議長は、トルコ大国民議会の伝統である調停委員会を提案していた。
この委員会では全ての政党はその党の議員数の多寡によって代表されるのではなかった。つまりAKPの議席の多さは重みを持つことはなかった。AKP、CHP、民族主義者行動党(MHP)、そして(当時の名前で)民主市民党(DTP)はそれぞれ2人ずつメンバーを出すことになっていた。
いずれかの政党が委員会での議論で拒否した条項は本会議にまわされないのであった。そのため議題に上った改正法案について議会全員の合意が得られるはずだった。この方法はこれ以前に成功していた。
バイカル党首は、CHPのリーダーとしてこの提案に返答すらしなかった。バイカル党首は以前、2002年から2004年にAKPと協調してEUの改革に貢献し、2003年にライバルのタイイプ・エルドアン首相の国会議員選出の前に立ちふさがる妨げを憲法改正によって取り除くことを認めていたが、(今回の)憲法改正の議会での協調による実現には寄与しなかった。
その理由は次のものであった。憲法裁判所は共和国検事長のAKP解党要求を退けたが、「世俗主義に反する罪」を認めた。バイカル党首によるとCHPは世俗主義に反する罪を犯した政党とともに憲法を変えることはできなかった。
バイカル党首は、エルドアン首相が運試しをしているのであり、(そのうち)あきらめるだろうと考えた可能性がある。しかしエルドアン首相は虚勢を張っていたわけではなかった。
エルドアン首相は国民投票のリスクを冒しても、最後まで自分の望む改正を主張した。バイカル党首がトプタン議長の解決案を受け入れていたら、今1980年クーデター実行者の裁判を含む多くの条項が緊張や両極化なしに行われすでに終わったものとなっただろう。
つけはクルチダルオール現党首に回ってきた。その手に残った唯一の武器である「反エルドアン」路線を前面に掲げざるを得なかった。そこでもエルドアン首相の投票者の支持がAKP以上であったという現象にぶつかった。これにCHP執行部の数年間におよぶ怠惰と新党首との不和問題が追加された。
しかしこれも戦略的な失策であり、さらには避けられない失策だった。そもそもの間違いは、トプタン議長の譲歩を拒否したことである。大勢の中で行われた失策は、CHPに前線での戦いに敗れるという結果をもたらしたように見受けられるのである。

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( 翻訳者:永山明子 )
( 記事ID:20197 )