オスマン家の祖、エルトゥールル・ガーズィー記念ソユト祭に、重要政治家集合
2010年09月21日付 Yeni Safak 紙


激しい議論を繰り広げた国民投票を終えて、政界はエルトゥールル・ガーズィー祈念ソユト祭で一堂に会した。数千人が参加したこの祭典では、団結や連帯を強調する声が多く聞かれた。

第729回エルトゥールル・ガーズィー祈念ソユト祭の最終日には大物政治家らが名を連ねた。祭典には政府を代表してビュレント・アルンチ副首相兼国務大臣とファルク・チェリキ国務大臣が参加したほか、民族主義者行動党(MHP)のデヴレト・バフチェリ党首や大統一党(BBP)のユルマズ・トプチュ党首も参加した。朝早くから始まった式典の中で、大物政治家らは数千人を引き連れてエルトゥールル・ガーズィー廟に向けて行進した。バフチェリ(MHP)党首が離脱した行進に参加したアルンチ副首相兼国務大臣やチェリキ国務大臣、トプチュ(BBP)党首はエルトゥールル・ガーズィー廟で祈りを捧げた。

■アブデュルハミトの子孫も参加
その後、メフテル(オスマン軍楽隊)も加わって祝典が行われるスタジアムへの行進が始まった。バフチェリ(MHP)党首はしばらくして来賓用の列から離れ、群集とともに歩き出した。アブデュルハミト2世の子孫であるオルハン・オスマンオール氏とアブドゥルハミト・カユハン・オスマンオール氏も式典に参加した。オスマン家の子孫らに国民は敬愛の意を表した。

■エデバリの教えは我々を照らす
アルンチ副首相兼国務大臣はエルトゥールル・ガーズィー祈念ソユト祭で演説を行い、トルコ民族を分裂させたがる者は歴史をもう一度勉強する必要があると述べた。
アルンチ副首相兼国務大臣は次のように語った。
「トルコ民族に対する背信を企てるものは誰であれ、社会が悲惨な思いをすることで自分たちの時代が来たと思うかもしれない。しかし彼らは争いの種をまくことはできない。何世紀もの間同胞は団結しており、この団結はこの先も続く。一言だけ言っておく。これまでの歴史を最初から勉強してほしい。シェイフ・エデバリのことを知るだろう。歴史の旅の中で我々を導いてくれた思想と出会うだろう。この教えは我々を照らしてくれる。シェイフ・エデバリに警鐘や道理に従うようにとの遺言を残したエルトゥールル・ガーズィーも先見の明のある偉大な人物だ。このことをよく知っておくべきだ。我々をまっすぐ支えてくれる見識とはこのことであることを。」

■テントに国旗を掲げた
独立行進曲の斉唱で始まった式典では、エルトゥールル・ガーズィーのドマニチからソユトへの移住を、遊牧テュルクメン連盟が代表して再現した。再現の間に逃げ出した一部の羊は、スタジアムの中を追いかけられた後に捕獲された。移住の再現をした後、毛織りのテントが建てられた。アルンチ副首相兼国務大臣はテントの前で国旗を掲げ、「皆様のテントに政府を代表して国旗を掲げる役目を果たせて光栄だ。今日この日が祝福されたものとなり、皆様の生活が恵み深きものとなりますように」と語った。その後民族舞踊や軍楽、馬上やり投げやメフテル隊が参加したパレードが行われた。祭典の参加者にはピラフやアイラン(ヨーグルトに水と塩を加えた飲料)が振る舞われた。

■バフチェリ(MHP)党首は式典に不服
ソウトで開催された祭りでは、MHPのバフチェリ党首の来賓用の列をボイコットする姿が目を引いた。バフチェリ党首は行進の先頭を歩くことを拒否し、指定された席にも座らなかった。バルケスィル県知事の強い要請にもバフチェリ党首は応じなかった。バフチェリ党首は、式典会場で指定された席に座ろうとしなかった。ビレジキ県知事のハリル・イブラヒム・アクプナル氏はバフチェリ党首の元に向かい、着席するよう促した。バフチェリ党首はこれを拒否し、アルンチ副首相兼国務大臣などがいる場から離れたところに着席した。この会場での祭典にはさらに、公正発展党所属ビレジキ選出国会議員のファフレッティン・ポイラズ議員、ビレジキ市長のセリム・ヤージュ氏、ソウト郡知事のヴラル・カラギュル氏、ソウト市長のオスマン・ギュネシュ氏が参加した。

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( 翻訳者:三上真人 )
( 記事ID:20218 )