イランで「キュロス憲章」がお披露目
2010年09月12日付 Jam-e Jam 紙

金曜日早朝、さまざまな騒動をへて、ついにキュロス憲章がイランに到着した。歴史上、最も重要な人権宣言として知られるこの歴史的遺物の見学を何年もの間希望してきたイラン国民の期待が、かなえられることになる。

 昨日この憲章の展示式典が、文化遺産観光庁の代表者や大英博物館の責任者らの出席のもと、イラン国立考古学博物館の2階で開催された。このきわめて貴重な歴史遺産は4ヶ月間にわたって、同博物館で展示される予定だ。

 実のところ、この憲章は粘土製の円柱であり、アッシリア系イギリス人考古学者がイラン暦1285年〔※1258年(西暦1879年)の誤り〕にバビロンで考古学の調査を行っていた際に発見したものである。この円柱はその後、大英博物館に移された。

 この憲章は実際、世界で初めての人権宣言とみなされている。イランの強大な王であったキュロスはバビロニアを征服したことを受け、人々に対して親切に接するよう、数行にわたって兵士らに命じている。

(中略)

 調査の結果、円柱の文書は紀元前539年にキュロス大王の命令で、ナボニドゥス〔バビロニア最後の王〕が敗北し、バビロンが征服されたことを受けて記述され、その後、バビロンの土台に記念の礎石として置かれたものであることが分かっている。この憲章は現在、世界中の文化遺産愛好家の間で、「自由憲章」、「世界初の人権宣言」として有名だ。

 キュロスの人権憲章は、イラン暦1340年代の終わり〔※1971年頃〕に一度だけ、数日間イランに持ち込まれたことがあるが、その後すぐにイギリスに返還された。

 イランでのキュロス憲章の展示は、貸し出しまでに5年間のプロセスがかかった末、実現したものだ。これまでに大英博物館は数回にわたって、さまざまな理由をつけてはこの貴重な歴史的遺物のイランへの貸し出しを渋り、イランでのこの遺産が展示されるのを邪魔立てしてきた。

(後略)

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( 翻訳者:三浦由佳理 )
( 記事ID:20258 )