Akif Bekiコラム:国民投票後の政界、「58%の春」は続くか?
2010年10月02日付 Radikal 紙

憂鬱な国民投票の時期が終わり、春の風が吹いた。政治をとりまく厳しい天候は、穏やかな雰囲気へと変わった。
こうした風をおこしているのは、首相が国民投票の後に行った演説だけではない。
公正発展党(AKP)は、国民投票で反対派であった共和人民党(CHP)やボイコットを起こした平和民主党(BDP)と、新たに意見交換を始めた。
エルドアン首相が、CHPクルチダルオール党首及びBDPデミルタシ党首と直接面会したことにより、彼らの「つりあがった眉」はかなり緩んだ。
政府関係者や各党レベルで、対話のチャンネルが開かれ、そして行われている。
これらの取り組みにより、政権への圧倒的な権力の集中を恐れる者たちは、とりあえず落ち着いたようだ。
不安や恐怖がある程度取り除かれたことは確かである。
しかし、政治的また社会的「断層線」に溜まった緊張関係が無くなったとはまだ言えない。
クルド問題、テロ撲滅、スカーフ着用の自由、アレヴィー派の要望など、慢性的な問題を解決するための、相互共通の意思が必要である。
「58%の春」が長続きすれば、この緊張が緩和し、それが土台となって、こうした共通の意思を生み出すこととなる。
根深い問題において、トルコが正常化するために、我々は新たな機会を得ることになる。
しかし、各党はそれぞれの都合を理由に、躊躇している。
そして、これを乗り越えられなければ、この機会を台無しにする可能性が大である。
さあ、皆集まって、この躊躇のもととなっている懐疑について本音で語ろうではないか。
でなければ、これは見せかけの春なのだろうか。
皆、信じたいし、確信を持ちたいと願っている・・
これはつかの間の春なのか、それともこれからも長く続く本当の春なのか。
我々を蝕んでいる、こうしたごまかし、騙し、欺きという疑念を、取り除く必要がある。
平和と秩序をもたらすことは、第一に政権を握る者らのモラル的な責任なのである。
つまり、これは、58%の社会的多数派と彼らが良しとした政治家の責任なのだ。
エルドアン首相はこれまでに、「58%の平和」を築くためにやるべきことは行ってきた。
しかし、与党も野党のような疑念のため、機能不全の状態にある。
AKPにも、取り除かれないままになっているAKPの都合による躊躇というものがあることを忘れてはならない。
野党は、平和と秩序を真摯に望むなら、政権を信頼すべきだ。
相手のいない一方通行の努力では、この春が長続きしないことは確実だ。

(本記事はAsahi中東マガジンでも紹介されています。)

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( 翻訳者:津久井優 )
( 記事ID:20299 )