Oral Calislarコラム:共和人民党と平和民主党、妥協の可能性
2010年10月03日付 Radikal 紙

クルチダルオール現党首が共和人民党(CHP)を変えるかということについて、多くの批評が行われた。「CHPはクルチダルオールで変わることはない」「CHP はどうあっても変わらない」と決めてかかってる人もいれば、彼が早急で強力な変化を起こすと期待する人もいた。

CHPの変化の可能性を、各リーダーと代表者と役職者、そして党指導部内の代表者達など(の構成)からよりも、私はトルコの全体的文脈から評価する立場を取っていたし、今もそうである。

■ まずケマル・デルビシュが状況を理解した

トルコの変化のエネルギーは継続している。こうした変化の影響について普段の生活の中で常に感じている。トルコがEUと関税同盟を結んで以降(1996年)、輸出入が5倍に増えている。このような国家が、古い法律、古い政策、古い体制、紋切り型のやり方で治めるのは明らかに不可能である。

こういったことを私が書いてる中、「公正発展党(AKP)は素晴らしい」と言ってそちらに流れていく者もいた。1996年トルコは関税同盟に加盟したが、その時はまだ AKPという政党は存在していなかった。その時に始まった変化のお陰で今のこの状態があるのだ。ケマル・デルビシュは経済における変化を一番に察知し、今の成功の基盤を築いた者の一人である。

その頃、CHP指導部にはバイカルがいたが、ケマル・デルビシュは彼と一緒では何も変えられないと悟り、CHPからもトルコからも離れた。その後、2002年末に AKPが政権をとった。

■ トルコの変化のエネルギー

タイイプ・エルドアン現首相とその友人達がエルバカン氏と決裂した、恐らく一番重要な要因は、アナトリアにおける新しい経済の風であった。アナトリアの様々な都市で(そのうちのひとつの柱はイスタンブルとイズミルであった)、新しい産業や商業の企業家が現れつつあった。彼らは世界に目を向けており、最大のパートナーはヨーロッパ諸国であった。

産業・貿易において、ヨーロッパと競い合うことで世界基準での生産と貿易が行われるようになった。経済がこのように近代化を余儀なくされ、彼らの世界観・政治観・イデオロギー・生活習慣は影響を受け、変化した。

トルコを変えていくエネルギーは、他の全ての政党と同様、AKP指導部も苦しんでいる。AKP指導部は世界基準の民主主義(構築)に向かうよう圧力を受けている。伝統的な内向的思考からグローバルな思考への移行において緊張が起きている。

(ここ最近)至福党で起こったこともトルコにおける変化の活発さの現れである。タイイプ・エルドアンらの離脱後、ネジメッティン・エルバカンは、「古い手法」を用いて至福党を指導しようとしたが、新しい変化の風の揺さぶりを受けた。ヌマン・クルトゥルムシュらは宗教層における新たな変化の波をうまく見極め、「民主主義」「変革家」という言葉の使用を必要と感じた。エルバカンはというと、以前使われていた古い言説を優先した結果、党は分裂することになった。

■ 変化が妥協を余儀なくさせている

この変化の波は同時に、全ての政党に新しい環境下での妥協を余儀なくしている。クルド人問題からキプロス問題に至るまで、またスカーフから世俗主義に至るまでの新しい環境下で、新しい妥協点の模索、またその必要性を期待される時代へと突入したのだ。

このような状況の中で、首相とセラハッティン・デミルタシュ平和民主党(BDP)党首は立ち話でも構わないので会談の場を持つ必要があると感じている。民族主義者行動党(MHP)と平和民主党は長い間協力し合うことはなかったが、その後協力関係を復活させている。BDP指導部は(新立法年開始に当って)大統領がおこなった演説を肯定的に捉えている。軍部はギュル大統領ボイコットのタイミングを逸したことに既に気づいている。クルチダルオールCHP党首は、(国会開会式で)バイカル元党首が座したままでいたのを横目に、大統領に敬意を表し起立した。ギュル大統領は、政府にも野党にも態度を変える必要があると説いている。クルド人問題を認めるときがきたことを、国家の長として述べている。

この点で、トルコで新しいことが起こっているといえる。人々は現状のまま政治を続けることは不可能であろうということを認め始めている。新しい言葉、新しい政治を学ぶべき時代に突入したと感じている。

この新しい言葉を発するものの間には、昨日まで「幼児殺人者」と責められてきたアブドゥッラー・オジャラン(元クルディスタン労働者党党首)も、ある意味、含まれている。彼は、カンディル山(のPKKキャンプ)に向けて「停戦状態を維持しなさい」というメッセージカードを送っている。母語(クルド語)に関して、BDPにはもっと順応性のある政策を要請している。

MHPはというと、身をかがめて、解党という緊張の中でなす術無く、ある方向へ引きずられている。「妥協はしない」と叫び、この時代の演者になる機会を放棄している。

■ 遠ざけられたバイカル

CHPでデニズ・バイカルの党首辞任の背後にある真の理由は、CHPの投票者達が目に見える変化を望んだからだった。CHP支持者らは「バイカルの現状維持」と彼の「妥協はしない」という態度から、何も変えることはできないということを理解したのだ。そしてチャンスを見つけると、投票でもって彼を党指導部から遠ざけるという解決法をとった。

クルチダルオールトはトルコの問題に関して有効な構想はないかもしれない。(バイカルとは異なる言葉を用いることが明らかであると同時に、)全く新しい政治的ヴィジョンと政治的言葉を生み出さないかもしれない。しかし、トルコにおける「全般的な変化の風」は、(おそらくクルチダルオールの個人的特性と能力とは関係なしに、)CHPの骨格を作り上げていくだろう。クルチダルオールは、その創造力やカリスマ性、政治指導力ではなく、全般的な風が作り出すエネルギーでもってこの国の変化の一役をかっている。

彼は、基本的な議題について、これまで述べてきた多くのことを撤回した。つまり、「何も決められず、何も明らかにしない」としか評価されない態度を見せた。これはクルチダルオールの性格的な矛盾というよりは、党内のバランスが原因となっているといえるだろう。例を示すと、クルチダルオールが「スカーフ問題を解決する」と政府に伝えると、CHPの党政治局の代表者達はすぐに動きだし、まさにバイカル時代がそうであったように、「だめ、だめ。議員免責特権も一緒に一法案でくるなら承認するが」と無理難題をもちだすのだ。

■ 40年続く党政治局

(クルチダルオールの)CHPがクルド人問題や、アレヴィー派への圧力問題などで、異なる態度を表明したことで、大きな期待が寄せられた。しかし、しばらくすると、その一部は失望へとかわった。そもそもCHPの党組織はクルチダルオールを、彼が多少とはいえバイカルとは違う、という理由で選んだのに。しかし、CHPにおける変化はそれほど簡単ではない。党運営で40年に渡る党政治局の役割をよく分析しなければならない。

変化を望まず、現状から利すること望む層の相当部分がCHPに集結したとしても、CHPに投票する人々は、官僚だけでなくこの国の組合や商工業者の一部分であり、彼らも変化の影響を受けている。さらに、(支持基盤である)沿岸地域で暮らす人々はみな現状に満足できないと考えている。

CHPとクルチダルオールがトルコの変化を生みだす力と、そのエネルギーの中心となることを期待するのは無理だとしても、CHPが絶対に変われないと考えるのも既に現実的ではないだろう。この先CHPからもたらされるいくつかの今までとは異なるメッセージは、サプライズにはならないだろうと思っている。

「協調」の時代、「協調」の言葉が生み出されつつあるのではないか...。新しい時代に入りつつあるような気もする。

しかし、楽観的すぎだろうか...。それは分からない。

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( 翻訳者:百合野愛 )
( 記事ID:20306 )