Oral Calislar コラム:この理解不能なCHP女性議員3人・・・
2010年10月06日付 Radikal 紙

この3人の共和人民党(CHP)議員…ジャナン・アルトマンはイズミル出身の医者。ヌル・セルテルとネジラ・アラトはそれぞれ研究者にして教授である。イスタンブル大学で教員であったこの2人の人物は、ケマル・アレムダルオール学長時代でも著名であった。例えば、ヌル・セルテルは当時副学長を務めていた。[この3人は]スカーフを被った(彼女らによればターバン)女性を対象として[校門前に]生まれた「着替え部屋(説得部屋)」の設立者であったのだ。

ジャナン・アントマンは、議会の中で有名で目立った出来事の中で姿を伺える人物である。ある日国外から輸入された血液がギリシャ人の血液であることがわかった瞬間、「我々の血が汚れる」と行動を起こし、またある時はギュル大統領の母が「アルメニア人」であるとほのめかし、またある時はデルスィム虐殺(の正当性)を主張するオヌル・オイメンを擁護した。

ジャナン・アルトマンは、ここ最近では党議会(PM)に新たに選ばれたエンヴェル・アイセヴェルに反発を示した。彼女曰く、「新しい党議会のメンバーであるエンヴェル・アイセヴェルには、驚いています、一体どういったCHP議員なのかと。彼が言うには、『CHPは民族主義から離れるべきだ。[我々は民族主義であるという]誓いを立てるべきではない』…。これらはクルド労働者党(PKK)が言っていることです。PKKの発言を口にするCHP議員がいるなんて。本来、こうした人々についてよく調べる必要があるのです。綱領にある6本の矢に象徴される原則に、党首から一般の党員までの全員が従う義務があります。綱領を変えるというなら、党議会の決定が必要です。世俗主義の緩和や堕落は、とても受け入れられたものではありません。彼らはCHPを公正発展党(AKP)化することを望んでいるのです。これを許さないためにも私はやるべきことをやります。」

ヌル・セルテルの見解はというと、次のようなものである。「CHPがスカーフ問題をどのように解決するのかは知りません。専門家や教育者が招集されましたが、私は含まれていませんでした。どのような解決が生み出されるのか、とても興味を持って待っています。しかし、私はこの問題に非常に詳しい1人として、そしてこの問題が原因で7-8年間に亘り死の恐怖に脅かされながら過ごしたため、はっきりとこう言うことができます。この件について、(違法とする以外の)異なる法解釈はありえません。髪をどのように結ぶのかを議論することは、スカーフ問題解決には貢献しません。」

ネジラ・アラトもCHP内で高まりを見せている新しい活動のいくつかに賛同しなかったようだ。
「『スカーフを被った者もチャルシャフ(黒衣)をまとった者も教団の者も(党へ)来るがいい』と言う者もいます。そうした発言をする人物は超自由主義的なのです。彼ら[スカーフやチャルシャフや教団の者]が我が党に来ることが党にとっていいことなのかそうでないのかはわかりません。実際のところ、党内の誰もこの問題が議題となり続けるのを望んではいないのです。」

バイカル前党首時代に度々話題となったこの3人の議員は、クルチダルオールのいくつかの見解とCHPの新しい空気に満足していないようだ。もちろんクルチダルオールがスカーフ問題に関してクリエイティブで一貫性のある発言をしたとはいえない。しかし見渡す限り、クルチダルオールが言ったいくつかの(従来と)異なる発言でさえCHPの伝統的な立場には受け入れられていないようだ。

もちろん問題はスカーフだけではない。CHPの新しい状態に不快感をもっている者もいる。彼らは「これが原因で離党しますか?」という質問さえ受け、抗うと答えている。

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「スカーフを被った女は(大学の)校門の外にほおりだせ。クルド人はトルコ民族主義の前に跪くがいい。アレヴィー派の人々はデルスィム虐殺を胸のうちに抑えて国家に従うがいい。軍は非民主主義システムの番人であり続けるがいい」と要約することができる単一思考の代表者らは、当然ながら、自分たちの勢力が失われたということを受け入れるのに困難を感じている。彼らはトルコで新たに発展した「調和路線」政治の風潮を前にして、驚愕しているのだ。強硬な態度、差別隔離的な方法で有名な代表者らが、怒り、失望、「どうにもすることができない」という感情が入り交じった状況の中にいるのを我々は目にしている。

特にCHPのこの3人の「有名なお騒がせ人」の、最近の展開を前にした心理(失望、なす術無し、頭の混乱といった要素を含む心理のこと)、表情、声のトーン、振舞い方を、トルコにおける変化という観点から分析することには大きな意義がある。結果的にこの3人は、ここ20~30年に影響したイデオロギー構造の重要な象徴のひとつなのだ。

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我々は[1980年]9月12日の[クーデタ体制]時代をまさに超える入り口にいる。9月12日の体制が揺らいでいる。9月12日が造り出したシステムは、成長し発展するトルコには窮屈になってきているのだ。

我々は今、すでに壊死してしまった過去の問題を、もっと冷静に、もっと注意深く話し合う時代へと向かっているのだ...。

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( 翻訳者:釘田遼香 )
( 記事ID:20325 )