ドイツのトルコ系サッカー選手にとっての「存在のたえられない“重さ”」
2010年10月08日付 Radikal紙

率直に言おう。昨日、私はスコアをまったくと言っていい程気にしなかった。この試合の後にメストの、ハリトの、ハミトの、ヌーリの、即ち彼らのようなバイリンガルで、2つのアイデンティティを持つ人の人生が困難なものにならないことだけを願っていた。10年間、2つの国の間に挟まれてきたこの世代の背に、この上サッカーの重荷がのしかからなければ良いのだが、と思ってきた。私はサッカーが縁で結ばれた2つのチーム(あるいは国)が、移民政策で常に躓いているEUに対して模範となることを望んでいた。しかしこの願いはどれほど現実のものとなっただろうか?楽観的でいることは容易ではない。人生が困難であれば、サッカーも困難になる、何と残念なことか!

実際、ここ数日、ドイツはだれもかれもが統合を叫んでいた。ビルド紙さえも親善大使のようだった。「彼ら」を迎え入れるための機会としてこの試合を見ていたことは明らかだ。

しかし、ことはそう容易ではない。ショービニズム(盲目的愛国心)のウィルスはそう簡単には駆逐されない。昨夕、ベルリンがトルコ人の街であるという現実を今一度大声で叫んだ何万人ものサポーターの怒りは、残念なことに簡単には冷めない。しかし、我々皆が知っているのだ、問題と解決の糸口は、いずれもあの群衆の中に潜んでいるということを。

我々がどこかから始めるのならば、ヌーリたち、メストたちから始める必要がある。それもメストにブーイングすることによってではなく。昨日のラディカル紙でハルーク・スナト氏が引用したゲーテの文は、まるでフィールドにいる、2つのパスポートを所有する者たちに捧げられたかのようだ:「1つの言語しか知らない者は言語を知らないものである」。例えに誤りがないよう、我々もこう言おう、「1つの国しか愛さない者は、その国をも愛していないのだ」と。

サッカーフィールドの人口統計は、このモザイクの強調にも関わらず「単一」だった。ブンデスリーガ(連邦リーグ)の試合よりもより多くのドイツ生まれの選手がフィールドにいた。レギュラー選手のイレブンである22人のうち、16人はサッカーをドイツで習っており、初めてボールとトルコで出会った者の数はといえばわずか5人にとどまる。その上、トルコのナショナルチームの選手は、リーグの6+6+2のルールに従わんと、メンバーに9人もの外国生まれの選手を擁していた。つまり観客席にはトルコ人がいたのに、フィールドには憲法を改正できるほど多くのドイツ国籍の選手がいたのだ。

試合は、当初からこの奇妙な精神状態に似つかわしく進んで行った。舵取りはそもそも常にドイツ人がしていたのだ。ボールも試合も、彼らの方が支配した。これはドイツ人選手が試合の地政学的重要性よりも、フィールドでのバランスに集中していたことの表れであっただろう。特に「よりドイツ人らしく」見えるミュラー、ラーム、クローゼといった名前の選手が。

トルコ人はと言うと、反撃をうまく繰り出すことも、ボールを奪うべく足を絡ませることもできなかった。後半ではトルコチームは多少リードした。しかし結果に結びつくようなことは起こらなかった。反対に、ドイツは常に一歩前にいる側だった。加えてメストのゴールが決まった。皆が関心を持っていた質問も答えを得ることになった。ゾングルダク出身のドイツ人は喜ばなかった。皆さんはこれを良しと見るのか?そうでないかもしれない。

認めようではないか、このドイツチームは世界で最も共感を誘うドイツの産物なのだ。多彩で多言語、とても楽しく高揚的である、それに十月祭(ミュンヘンのビール祭り)もあるのだろう。だから、ドイツ人が勝てば我々は負けたのだと、そう悲しむべきではない。素晴らしいサッカーと多文化な世界を望む人は皆、このドイツを愛するだろう。そして「我々の」誰かもそこにいるのだ。

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(翻訳者:林奈緒子)
(記事ID:20343)