トルコはじめて物語―各業種で最初にできた会社は?
2010年10月09日付 Milliyet 紙
ボモンティ・ビール工場
ボモンティ・ビール工場

トルコで私たちの生活に溶け込んでいるが、それについてあまり深く考えたことのない組織や会社の設立された時代にタイムスリップしたければ、この本を読んでください。
トルコで最初のチョコレート工場を誰が設立したか。最初の国産の電球はどのように生産されたか。最初にスパゲッティを生産したのは誰か。最初の中小企業の礎はどのように作られたか。最初のジーパンはだれが作ったか。最初の近代的な薬工場はだれが設立したか。
全てのこのような質問の答えを、シャファク・アルトゥンがエルマ出版から出版した『先駆的な起業家たち』という本で見つけられる。著者は本の中で、エティ、コチグループ、エザジュバシュ、ハジュ・シャキル、アタテュルク農場、タリシュのような共和国初期の会社や組織の設立秘話を取り上げている。
アルトゥン氏は、共和国の時代になんども危機に遭遇したにも関わらず、成功し、有名となり、その分野ではトルコでの先駆者となった組織の設立エピソードを伝えている。
『先駆的な起業家たち:トルコはじめて物語』においては、それらの写真もある。ここで幾つかの短い話を。

■ボモンティ・ビール工場(トルコ初の近代的なビール生産工場)

イスタンブルでもっとも古い地区の地名と同じ名前を持つボモンティ・ビール工場は、トルコで最初に近代的なビール生産技術によって生産を始めたビール生産工場である。資本金250万フランの会社の本社はジュネーブにあり、ボモンティ・ビールは、設立後すぐに独占企業となった。

■アタテュルク農場(最初の中規模経営事業の基礎)

農業発展の基礎を作ったとして評価されているアタテュルクは、アンカラに近代的な農場を設立することを決定した。木さえも育たないと言われていた土地をアタテルュクは購入した。1957年に、最初の近代的なミルク工場の基礎が作られたアタテュルク農場では、近代農業と牧畜の技術が用いられる一方、技術工房が設立されることで、最初の産業振興策の第一歩が踏み出された。

■ウルダー炭酸(国産の炭酸はどのように作られたか)

ブルサのシンボルであるウルダー炭酸の設立は、1877年に鉱物を探しにブルサにやってきたあるフランス人の炭鉱技師が、クロムを探しているときに、村人の案内で炭酸入りの水を見つけ、この水がミネラルを多く含んでいることに気付いたことに始まる。この炭鉱技師が、当時の政府の高官であったタラト・パシャ、フアト・ベイ、その親戚のストゥク・ベイと共同出資してできたケシシュミネラル水社は、産業化して初めて瓶詰め水として販売した。

■セカ(最初の製紙工場)

1920年代に製紙業の技術を持たなかったトルコに、紙は中央ヨーロッパの国々から外貨と引き換えにもたらされた。工場の代表者達もこの仕事から手数料を徴収していた。イスタンブル・ダーリュリュフヌーン(現イスタンブル大学)の教授メフメト・アリ・キャウットチュは、製紙技術が確立される必要があると考えていた。
キャリアをあきらめてドイツに行ったキャウットチュは、まず労働者として働き、その後フランスに渡り、製紙技術を学んだ。トルコに戻り、製紙工場を設立することを切望したが、キャウットチュの考えを政府は当初軽視していた。しかしその後シュメル銀行の支援を得て、工場稼働が決定し、1934年に第一歩が記された。1936年にイズミット製紙工場で試作が行われ、トルコ初の紙が生産された。

■エティ(初のラスク、「エティメッキ」)

名前をインダス文明から取ったエティ社は、1961年フィルズ・カナトゥルが工場を自分で設計し、設立された。1962年にエスキシェヒルで生産が始まった。最初、「プティ・ブール」(ビスケットの商品名)はクリーム入り、アーモンド入りのように、全てそれぞれオリジナルな味で市場に出された。
1967年にトルコ人技師の設計、施工による最初の自動ビスケット製造工場を作ったエティは、同年オリジナルなな味の「エティ・フィンガー」の生産を始めた。その後1969年に「ブルチャック」が生産された。
1976年に初の幼児用ビスケットの「ジジベべ」、1978年にトルコ初のラスク「エティメッキ」、1980年にもトルコで初めてパンケーキを生産している。

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( 翻訳者:新井慧 )
( 記事ID:20358 )