Murat Yetkinコラム:ウルフ独大統領演説を考える
2010年10月20日付 Radikal 紙

「ドイツ大統領はアンカラで宗教や文化の問題に言及し、ハイリュニサ・ギュル夫人は公式セレモニーに参加するきっかけになった。」それぞれの意味を理解したくないもの者をあざ笑うかのように、歴史は、偶然にもそれを同じ日に実現させた。

ドイツのクリスティアン・ウルフ大統領は昨日(19日)アンカラに到着したが、その2日前(17日)にアンゲラ・メルケル独首相は、トルコにも関係するある重要な演説を行っていた。

17日に行われたキリスト教民主同盟の会合でメルケル首相は、ドイツが第二次世界大戦後に取り組んできた「多文化社会」プロジェクトは完全な失敗に終わったと述べていた。メルケル首相は、「それでも我々は共に生活していく。しかし彼らはドイツ語を学び、我々の法に従うべきだ」と述べていた。

メルケル首相とウルフ大統領は、9日にベルリンで行われ、ドイツがトルコに3-0で勝利したサッカーの試合(2点目のゴールをトルコ系のメスート・オズィルが決めた)をタイイプ・エルドアン首相と一緒に観戦した。エルドアン首相とメルケル独首相は、翌朝会談を行った。エルドアン首相はその席でおそらく初めてここまで明確に、ドイツで暮らすトルコ人に対してドイツ語を学んで社会に統合するよう呼びかけ、統合と「アスィミレーション」つまり「同化」は似て非なるものだと語った。

これは重要なことであった。なぜなら1960年の労働者獲得キャンペーン以降ドイツに移り住んだ人の数は、ドイツで生まれた人たちと合わせて300万人に上っているからだ。イスタンブルやアンカラ、エルズルムもまだ見たことがないのに、ベルリンやミュンヘンやハンブルクの駅に立ち、そして(トルコでは)畑で原始的な犂(すき)を使っていたのに、(ドイツでは)自動車やテレビ工場のベルトコンベアーの前にたったのだ。都会の夜の明かりや酒場を、教育を受けていないトルコ人が目の当たりにした。今日ギュル大統領が共同記者会見で語ったように、トルコ側、ドイツ側の双方の怠慢によって内に閉じこもり、ドイツ社会に対して受身の姿勢を取るようになってしまった。

近年の二つの事件がこの文化摩擦をエスカレートさせることとなった。一つ目は2001年のアルカイダの攻撃によって高まった、イスラム急進派への恐れである。二つ目は、2008年に起こった世界的な経済危機の結果広まった失業への反発の矛先を、欧州各国は国内の外国人に、とりわけムスリム外国人に向けたことである。

■宗教や文化に基づいた政治

2005年から現在までのEUとトルコのぎくしゃくした関係には、フランスのニコラ・サルコジ政権とドイツのメルケル政権がトルコのEU加盟に対して冷やかであることが一因している。トルコの外交筋は、ドイツからの発言以外に物理的障害はなかったとことさら強調しているが、ドイツでトルコのEU加盟への反対ムードが広まったことには、宗教的、文化的問題が影響を及ぼしている。

■「恐るべきトルコ人、ウルフ」

このことを昨日2つの例で目の当たりにした。一つ目は大統領官邸においてである。ウルフ大統領はトルコ訪問前に「イスラム教徒たちの大統領でもある(イスラム教徒もドイツ国民の一部である)」と発言したために、メルケル首相を含む右派から批判を受け、フォーカス誌では彼のことを「恐るべきトルコ人」と描いた風刺画が掲載されていた。あるドイツ人記者はギュル大統領に対し、「自分はキリスト教徒たちの大統領である(キリスト教徒もトルコ国民の一部だ)と言うことはできますか」と質問した。大統領はさらりと「もちろん」と言ってのけた。

二つ目は議会においてである。実はウルフ大統領は(トルコ)議会での演説で、エルドアン政権の痛い所にまさに電流を流しこむようなとげのある演説を行った。キプロス・EU関係からアルメニアとの融和における問題まで、さらにイスラエル・パレスチナ問題からイランの核問題に至るまで、非常に微妙な問題に言及した後、ドイツで暮らすトルコ人の宗教・文化問題について比較的詳細に語った。

ドイツではモスクやムスリムの数が次第に増加しており、ドイツはこれを受け入れている。ウルフ大統領は、キリスト教揺籃の地の一つと見なされるトルコで暮らすキリスト教徒も、同じような住みやすさを享受することを願っていると控えめに述べた(昨日のアクシャム紙で、マラトゥヤで起きた虐殺の被害者の中に、ドイツ人プロテスタントが一人含まれていたことが詳細に報じられていた)。キリスト教神学者養成問題にも言及し、具体的な名前は挙げずにヘイベリアダ神学校問題に触れた。聖パウロの生誕地タルススで行われる儀式(礼拝)に参加するつもりであることを強調した。

■ハイリュニサ・ギュル夫人、閲兵式に

これらのことはエルドアン首相を不快にさせるだろうか、あるいは、首相は気にもとめないだろうか。それはまた別の問題であるが、ともかくウルフ大統領は自分の言いたいことが明確に理解してもらえるように演説をした。

今回の演説には歴史のいたずらともいえる偶然もあった。政治がこれほどまで宗教問題と絡み合った今回の訪問は、トルコでも象徴的な(宗教的問題の)転換点の舞台となったからである。ハイリュニサ・ギュル夫人は、ドイツ大統領を迎えるため、チャンカヤ(トルコ大統領官邸)で行われた閲兵式に初めて大統領とともに参加した。議会で今日始まるスカーフに関する協議を前に、これもまた、重要な転換点となった。

(本記事はAsahi中東マガジンでも紹介されています。)

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( 翻訳者:三上真人 )
( 記事ID:20444 )