Oral Calislar コラム:変わるクルド人、国家も変化を!
2010年11月02日付 Radikal 紙

醸成されつつある温和なムードに軍並びに司法も加わらねばならない。解決は政治に任せるべきである。
クルド労働者党(PKK)がタクスィム広場襲撃を否定したこと、そして後に「停戦」を総選挙まで延長したことに伴い、「解決策の模索」という観点から我々は新しい時代へと移行した。この状況を、PKKが恒久的な解決策を模索している、あるいはPKKが「解決を迫られている」と解釈できる。
ともあれ、この新しい時代は、トルコにとってもクルドにとっても大きな好機である。クルド問題が「解決にむけ話し合われる」一つのプロセスが始まった。PKKの停戦期間延長決定、及びPKKの「我々は行わなかったし、行わない」という発表を、政府および国家が正しく解釈することは大変重要である。

■ 変化の背景

クルド人が多数を占める地域で、トルコ全土同様、重大な変化が起きている。先週、私が向かったディヤルバクル市及びバトマン市の活気は驚くばかりであった。現代的な建物、広い通り、毎日、新たにオープンするショッピングセンター、改修された歴史的な通り、多くの人を乗せ発着陸する飛行機やバスなどは、日常生活に反映された変化の兆しの一部であると考えられる。
例えば、ディヤルバクルのスリチ地区は、近年までディヤルバクル周辺の荒廃と貧困の象徴のようであった。ディヤルバクルの狭い路地は、村を廃村にされた、行く宛のない人々の避難所であった。現在、スリチ地区は様変わりしている...昨日まであたかもゴミ捨て場のようであった歴史的なハサンパシャ隊商宿は、現在、観光地のようになっている。ウル・モスクは修復され、廃墟と化していた歴史的なアルメニア教会は復興している。

■ PKKも変化している

PKKもクルド運動も、全体的な「都市化」のプロセスを経ていることが見受けられる。これは、この地域の諸都市において、「武器はお払い箱」との考えが普及していることを意味する(クルディスタン社会連合(KCK)裁判が、この期間に行われたことは、誤った政治的かつ法的干渉であると定義できる)。この風潮が継続し、またクルド運動における“武力信仰”の支配力が減退するようになるには時間が必要である。

■ 両者とも勝利できないと理解した

英国とアイルランド共和国軍(IRA)間での武器放棄プロセスについてコメントしたシン・フェイン党党首ゲリー・アダムス氏は、「どちらも勝利者にはなれないということを理解したので、平和プロセスが始まったのです」と述べている。PKK指導者であるカラユランは、先日、「我々はトルコ軍に勝利できないことは分かっている」と述べた。
ヤシャル・ビュユカヌト元参謀総長は、「50万の兵士がカンディルに集ったとしても、明確な結果は得られないだろう」と述べている。この貴重な日々の意義を理解しようではないか。エルドアン首相は、後ろ盾となっている世論の支持を受け、勇敢に前進することができる。緊張を和らげるために手助けをし、トルコ西部においても、「解決のための」気運を作りうるのだ。当然ながら、KCK裁判が、法的なものであるというよりはむしろ政治的な裁判であると認められることも大変重要である...

■ 温和なムード

醸成される温和なムードに軍並びに司法も加わらねばならない。解決は「政治」に任せるべきであるし、それは可能であろう。
そのプロセスに共和人民党(CHP)も加わってもらうにあたり、大いに前向きな条件がそろっている。クルチダルオール党首は、バイカル元党首とは異なる姿勢をとっている。私は同プロセスにCHPが加わるという方向で、エルドアン首相が創意ある姿勢を示されるであろうと期待している。
母語教育(クルド語教育)において国家が本分を尽くすことで、第一歩を記すことができよう。政治がPKK化することではなく、PKKが政治問題化すること(政治という舞台で扱われること)に向けた諸条件は、過去に比べさらによくなってきている。

(本記事はAsahi中東マガジンでも紹介されています。)

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( 翻訳者:藤井庸平 )
( 記事ID:20578 )