新婚夫婦「因習」殺害事件、悲しみの葬儀―「そんな因習はない」の声
2010年12月14日付 Radikal 紙


イスラム教徒の花婿とアルメニア人の花嫁を殺害した花嫁の兄は、「因習」を口実にした。アルメニア人たちはこの事件で「こんな因習はない」と話した。

「二人は互いに本当に愛し合っていた。そして結婚した…」息子の棺を肩にのせて運ぶ際に父ムラト・ヴラル氏は、息子ゼケリヤさんと嫁のソネイ・ヴラルさんの、最後は死とともに終わってしまった愛の物語をこのように述べた。
29歳のゼケリヤさんはバトマン(トルコ南東部)出身で、アラブ系家族の息子だった。売り子として始めた宝石屋の仕事を軌道に乗せ、宝石商店街で店を開いた。家族は彼が養っていた。

ソネイさんは26歳だった。マルディン出身のアルメニア系の家族の娘だった。家族は20年ほど前サマティアへと引っ越してきた。ソネイさんは5人兄妹の末っ子だった。コジャムスタファパシャのある薬局で働いていた。

5〜6ヶ月ほど前だった。ゼケリヤさんが、偶然ソネイさんの働く薬局へ来て、彼らの間に愛が芽生えた。ゼケリヤさんはしょっちゅうその薬局へと行くようになった。彼らは結婚したがっていた。しかし、一つ問題があった。それはソネイさんの家族が、花婿候補がキリスト教徒ではなかったために結婚に反対したことだった。二人ともこの問題を乗り越えるために努力した。ゼケリヤさんは必要ならば改宗さえすると話していた。ソネイさんは最近になって家族の態度が軟化してきたと話すようになっていた。だが結局、彼らは「承認」を得ないまま結婚することを決意した。ソネイさんはその日、ウェディングドレスの代わりに黒い服を着てファーティフ結婚式場へ行った。「はい」と答えたときは、緊張もしていたし、幸せでもあった…。

ソネイさんの家族はこの結婚を良くは思っていなかった。兄ギョナイ・オーメンの供述によるとこの二人の若者たちは次のように死へ、一歩ずつ歩み寄っていった。

■『ソネイは無表情な目で見た』

ギョナイ・オーメン曰く:
「(妹のソネイは)この結婚のあと姉ザラの家に泊まっていた。私も話し合うためにまず姉の家に行った。『私たち家族はこのようなことを認めていない』と話した。妹はゼケリヤがキリスト教徒になることを受け入れたと話した。またあとで話そうということになった。12月11日の夜、フンドゥクザーデにあるレストランで(彼らと)会った。ゼケリヤのことをまだ知らなかったので、こっそりと銃を持っていっていた。食事をしている際にゼケリヤに、(彼が)キリスト教徒になると話していたことをもう一度話題にした。すると逃げるかのように『なっても、ならなくても…私たちにも面目があります。自分から『教会で結婚式をする』とは言えない』と話した。蔑むような言葉を使った。その後私たちは席を立った。ゼケリヤの車に乗った。解決策を示して欲しかった。だが、また同じ返事を返してきた。私も『私たちにも面目はある。私たちの習慣では教会で結婚式を行う』と話した。ゼケリヤは私に対してひどい言葉を放った。私は銃を出してゼケリヤの頭を撃った。ソネイは後ずさりながら無表情な目で私を見た。彼女の頭にも銃を撃った。」

ゼケリヤさんとソネイさんの遺体はその日の夜遅くに見つかった。二人は車のなかにいた。ソネイさんは夫の胸のなかにいた。
殺人容疑の兄は、鳩を飼っており、コジャムスタファパシャにある鳩愛好協会で逮捕された。

■友愛の生き方をお許しください

葬儀でお祈りをしたイマームも「平和と友愛」について話した。「異なる宗教に属していても、私たちが生きるこの環境で友愛のために、愛の結びつきを強くする生き方を神が与えてくださいますように。一人の人間を殺した者は、全ての人を殺したも同然だ。何に属していようとも、このことは変わらない。『一人の人間に生を与えた者は、全ての人に生を与えたも同然だ』とイスラムでは言っている。これは基本的な決まりである。神よ、(人間が)生を与える存在であることをお許しください。異なる宗教に属していようとも、同じ世界を友愛をもって、互いに理解をして、平安のなかで生きられますように。」

■ソネイさんの葬儀は今日

ソネイ・ヴラルさんの法医学協会に安置されていた遺体は、昨日の午後、家族によって引き取られ、コジャムスタファパシャにあるスルプ・ケヴォルク教会へと運ばれた。ソネイさんは今日教会で行なわれる葬儀のあと埋葬される。ソネイさんのコジャムスタファパシャにある実家は静寂に包まれていた。

■私たちには因習も家族会議もない

この殺人事件はアルメニア人コミュニティにもショックを与えた。ジャマナック新聞のセヴァン・デーイルメンジヤン編集長は、アルメニア人の間で異なる宗教、あるいは人種との結婚が禁止されているとは言えないと述べ、「禁止ではないが、偏見はもちろんある。良いと思われることではないかもしれない。しかし決して死に値するほどの激しい問題とはならない。よく考えることを勧められるが『家族から消してしまおうとか、こいつらと会わないようにしよう』というような反応ももう起きない。因習や家族会議のようなものがあると言及することはできない。」

■自分の宗教を生きるはずだった

ゼケリヤ・ヴラルさんが昨日、コジャムスタファパシャのシュンブル・エフェンディ・モスクでの葬儀の後で埋葬される際、母親ハザル・エミネ・ヴラルさんはずっと泣き叫んでいた。
「息子はただ愛していただけなのに。」

父親のムラト・ヴラルさんはこの殺人事件に関して重要な疑いを持っていた。「嫁の家族は結婚に反対だった。母親も父親も脅迫し、『娘も(私たちの)息子も殺させる』と話していた。そうであるならば、子どもたちは分かっていたはずだ。みな自分の宗教を生きるはずだった。その後、息子をだますために承認したかのように見せかけた。息子もその日『彼女が私に兄を紹介してくれる』と話していた。息子を殺すためにだましたのだ。容疑者一人が決めたことではない。家族が話し合い、みなで一緒に決めたことだ。これは放っておくことはできない。」

叔父であるジェミル・ヴラルさんも「因習殺人」の疑いについて話していた。
「あの消音銃はだれのものだったのだろう?どちらにしろ親族は(二人の結婚に対して)『ダメだ』と話していた。彼女の母親がきて、『私が殺させる』と言った。殺人は用意されたものだった。」

■アルメニア人の親族も葬儀に

葬儀にはソネイさんの親戚であるアトロニック・ヨンタンさんも参加した。ヨンタンさんはアルメニア人の伝統には因習殺人はないことを述べ、「宗教の違いは問題になるべきではなかった。しかし、ギョナイはアルメニア人の伝統を知らずに殺人を犯したらしい。私たちはショックを受けた」と話した。

(本記事はAsahi中東マガジンでも紹介されています。)

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( 翻訳者:小川玲奈 )
( 記事ID:20965 )