シャフラー事件、本日幕引きに:和解調停委員会の努力の甲斐なく、キサース刑が執行
2010年12月01日付 Jam-e Jam 紙

昨朝、ラーレ・サハルヒーザーンの遺族からキサース刑〔同害報復刑〕免除の同意を取り付けるための刑事検察庁和解調停委員会の努力が不調に終わり、ついに本日(水曜日)の朝、シャフラーはナーセル・モハンマドハーニーと彼の二人の子供、及びラーレ(殺害された人物)の母親と兄弟・姉妹が見守る中、キサース刑〔同害報復刑、今回のケースでは死刑〕を受けることになった。

 ジャーメ・ジャーム紙によると、81年メフル月7日〔西暦2002年9月29日:ただし別の報道ではメフル月17日(10月9日)〕11時45分、110番警察緊急センターに、テヘランのケタービー広場で殺人事件が発生したとの通報が寄せられた。その数分後、現場に急行した第103ガーンディー署の警官らが目撃したのは、ラーレ・サハルヒーザーンという名前の女性の遺体だった。彼女は、元サッカー選手のナーセル・モハンマドハーニーの妻であった。警官らは本件について、テヘラン殺人特別判事(当時)のホッジャトルエスラーム・ホセイニー=クーフキャマレイーに報告した。

 刑事裁判官が現場を訪れて明らかになったのは、夫のナーセル・モハンマドハーニーがサッカー・チームのペルセポリスとともに、キャンプでドイツに滞在していたために自宅を不在にしていた間、ラーレは何者かに何度もナイフで刺されて殺害された、ということであった。

 クーフキャマレイー判事の指示によって、本件の捜査はテヘラン刑事警察第10課に委ねられ、捜査が始まった。

〔‥‥〕

 本件を担当する判事の交替の後も捜査は続けられ、ついに81年ティール月17日〔2002年7月8日:アーバーン月17日(11月8日)の誤り〕、警察は手がかりによってハディージャ(通称シャフラー)という名の女にたどりついた。この女は、ナーセル・モハンマドハーニーの一時婚(スィーゲ)による妻であり、4年前から〔ラーレ夫人に知られることなく〕こっそりと元サッカー選手と暮らしていた。

 シャフラー逮捕の命により、女は数ヶ月間拘束されたが、その間殺人の容疑を否認し続けた。しかし82年ファルヴァルディーン月〔2003年3/4月〕、ナーセル・モハンマドハーニーと短時間面会した後、シャフラーはついにラーレ殺害を自白した。

 容疑者は供述で、次のように述べている。「ナーセルがチームとともにドイツに行った時、私の人生の前に立ちはだかるラーレを取り除くのに、今が一番良い時だと感じました。私はもっていた鍵を使ってナーセルの家に入り、暖房の裏に隠れました」。

 シャフラーは次のように続けた。「朝までそこに待機していました。そしてラーレの友人と子供たちが家から出て行ったのを見計らい、ベットに寝ていたラーレをナイフで刺し、殺害しました」。

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 83年〔2004年〕に捜査が完了すると、シャフラーは第1154法廷で裁判を受けた。3回に及ぶ公判で、彼女は無罪を主張した。被告人の裁判と弁護士による弁論の後、ラーレの遺族、ならびに彼女の二人の子供の代理人として出廷したナーセル・モハンマドハーニーのキサース刑の要求に配慮し、刑事裁判所の判事はシャフラーにキサース刑を宣告、この判決は最高裁判所でも支持された。

 最高裁判所での支持の後、本件をめぐってさまざまな意見が広範囲に飛び交った。そしてついに、アーヤトッラー・シャーフルーディー司法権長官(当時)の指示によって、より正確な審理を行うよう、本件は司法権の補佐裁判官らの手に委ねられた。その結果、27人の裁判官中、20人がシャフラーを有罪と認定し、初審の判決を支持した。これに対して、7人の裁判官は彼女を無罪だと主張した。

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( 翻訳者:日下涼 )
( 記事ID:20985 )