ビトリス山中で12人の白骨遺体発見
2011年01月06日付 Zaman 紙


昨年からディヤルバクル県共和国首席検事が行っていたジズレ-ハニ間の道路沿いの遺体捜索活動は、ビトリス県のムトキ郡にまで及んだ。

ビトリス県共和国首席検事に宛てて、6ヶ月前に送られてきた密告の手紙に関し、検察は捜査を始めていた。ムトキ郡軍警察司令部のある山裾で先日から始められた捜索活動によって、これまで12人の白骨と衣服が見つかった。発見された人骨は法医学協会に送られた。遺体は、一般市民とテロ組織のメンバーのものである可能性が指摘されている。軍警察と警察が共同で捜索しているエリアは広域警備体制がしかれている。四方を山々で囲まれた郡一帯に兵が配置された。

関係者らは、撮影を許可しなかった。郡にやって来た記者らは、その場を離れるまで私服警官や軍警察によって監視された。捜索が行なわれているエリアを掘り返すために、行方不明者の近親者らは、2年前にビトリス県検察当局に申請を行っていた。人々の間で囁かれている説が二つある。一つは、PKK(クルド労働者党)に与した疑いで訴えられた村民らが1993年に処刑され、その遺体が問題のエリアに埋められたという説である。もう一つは、ムトキ郡のチャイゲチト、バル、カバクバシュ、エルサン・デレシで起きた衝突で命を落としたか、或いは生きたまま捕えられ、その後処刑されたPKK党員の遺体が、郡警察前のごみ捨て場に埋められたという説だ。衝突で殺されたアリジャン・クズルカヤ氏の兄弟、メフメト・ヌリ・クズルカヤ氏、メフメト・エレン氏の兄、ギュレヴィ・エレン氏、ジェヴデト・チャルガン氏の父、マフムト・チャルガン氏は検察に赴き、ムトキ郡での捜索を要請していた。6か月前には検察に密告の手紙も届いた。手紙にはPKKに加わるため家を離れた若者たちや衝突で殺された者が埋められている、と書かれていた。これによって、許可を得た検察は掘り返し作業を開始させた。軍警察の管轄地域で、検察の要請を受けて警察も捜索を行っている。ムトキ郡の住民には郡のごみ捨て場として知られ、郡の軍警察司令部の敷地内にある場所に、数年前死体が埋められたと言われている。郡で30年来商いをしているE.K.は、1993、1996、1999年の3回にわたり、死体がここの穴に埋められたと言う。E.K.は死体が埋められた穴は、自治体の車と職員を使って掘られたものだと語った。掘り返し作業に際し、検察に供述を行った自治体の当時の職員は、ショベルカーの運転手O.G.が(遺体を埋める時に)自ら穴を掘る作業に加わっていたと述べている。

現在までに12人の白骨が発見されたのち、ビトリス県弁護士会が記者会見を行なった。ビトリス弁護士会会長のエニス・ギュル弁護士は、 「今回の事件で少しでも人権侵害が行われたのであれば、それに対して我々全員の指針となるのは法の優位性である。法に反していることがあれば、弁護士会が持つ権限の範囲で、法律家としてこの件を追及するでしょう」と語った。ギュル弁護士は、発見された白骨が誰のものであるかは法医学解剖で明らかになり、それにより何らかの事実が分かるだろうと述べた。

■家族4人の死体がそこにあるはず

ムトキ郡で食料雑貨店と新聞販売店を営んでいるセイイトハン・ビルリキさんは、この未解決事件によって苦しんでいる一人である。ビルリキさんは捜索現場へ一日に4,5回足を運び、14年前行方不明になった、父、二人の兄、おじに関連する情報を待っている。セイイトハン・ビルリキさんの兄ケマル・ビルリキさんは政治的事件に関与したため1991年に逮捕され、3年9カ月の懲役刑を受けた。マルディン県クズルテペ中・初級刑務所で服役していた。1995年3月29日に刑を終えたケマル・ビルリキさんを迎えに行った父のアブドゥルバキ・ビルリキさん、もう一人の兄のズゥベイェル・ビルリキさん、そしておじのゼキ・アバルクと連絡がつかなくなった。ビルリキさんは、父や兄たちが行方不明になった時に、当時の司令官で、現在エルゲネコン捜査で逮捕された容疑者ハサン・アティラ・ウウル退役大佐の関与を疑っている。ビルリキさんは、父と兄たちが殺された時期に、ウウル元退役大佐はクズルテペで大隊司令部にいたと語り、「二人の兄、父とおじが、ウウルによって処刑されてしまった。この事件について、なぜ捜査が行われないのか、分からない」と述べた。

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( 翻訳者:大久保はるか )
( 記事ID:21131 )