チュニジア民衆のデモ拡大でベン・アリー大統領が国外亡命
2011年01月15日付 Al-Nahar 紙

■ ベン・アリー大統領、民衆蜂起で失脚したアラブ初の大統領に
■ 飛行機でジェッダに逃亡
■ ガンヌーシー首相が暫定大統領就任を発表

2011年1月15日付『アル=ナハール』紙(レバノン)HP1面

【AFP】

 アラブ世界に前例のない事態の発生に、アラブ諸国での反響は必至である。チュニジアで起こった抑圧と貧困に対する民衆の一連の抗議行動によってザイヌルアービディーン・ベン・アリー大統領(74歳)は失脚し、国外に亡命した。ベン・アリー氏は23年もの間強権支配を続け、終身大統領として留任する用意もしていた。しかし、1か月前にスィディ・アブー・ゼイド市でムハンマド・アル=ブーアズィーズィー青年が失業と警察の抑圧に絶望し自らの体に火を放ったことが、チュニジアの首都と主要都市の大半に拡がる衝突の引き金になろうとは、ベン・アリー氏は考えていなかった。衝突は失業者数の増加や体制内部における腐敗と縁故主義の蔓延への反発を背景として拡がり、ベン・アリー氏は結局権力の放棄を余儀なくされ、つい最近まで友好関係を主張していた国々にさえ歓迎されていないことを知らされるに到った 。また一連の事態の展開における暴力と急激な変化は、アラブ世界の各地に不安を巻き起こすだろう。アラブ各国の支配体制は、若年人口の増加と経済的な難題と強権支配への反発 からくる同様の圧力に直面している。

 ベン・アリー大統領の出国の発表と同時にムハンマド・アル=ガンヌーシー首相がテレビに登場し、大統領がもはや職務を遂行できなくなったため、憲法に従って自身が暫定的に大統領の権限を引き継いだと発表した。首相の声明は、ベン・アリー大統領が1987年11月7日、故ハビーブ・ブルギバ大統領を健康状態の悪化のため任務遂行能力を欠いているとして政権から排除した際に読み上げたものと非常に似通っていた。しかしこうした形での政権交代は憲法に違反し、ベン・アリー体制を形を変えて存続させることを意図したものであると考えるチュニジア国民の反発を招いている。こうした中、国軍が諸外国、とくにフランスやアメリカとともにこの打開策を準備したのではないかとの憶測が流れている。フランス大統領が追放されたチュニジア大統領の受け入れを拒否したことが注目されており、アメリカ政府はチュニジアの民衆には指導者を選択する権利があると述べ、自由で公正な選挙を近日中に実施するよう呼びかけている。

(後略)

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( 翻訳者:片山満祐子 )
( 記事ID:21182 )