Semih İdizコラム:欧米、中東の目はトルコと公正発展党へ
2011年02月05日付 Milliyet 紙

エジプトのムスリム同胞団を代表して近頃ヨーロッパのテレビ番組にコメントをしている人たちが、「あなた方が政権に立てば、エジプトはイラン化するのでしょうか?」といった疑問に対峙したとき、回答では通常は2つのポイントに言及している。ひとつめは、「我々はイランのようにはなりません。というのも彼らはシーア派で私たちはスンニ派ですから」というものだ。そしてもう一方は、「私たちを、タリバン的な要素を内包するものというよりは、トルコの公正発展党(AKP)のようなものだと思ってください」という回答だ。同様の回答がチュニジアからも聞こえていた。

つまり中東で、民主主義・人権・正義の声が高まるにつれ、トルコ、なかでもAKPに関心が寄せられ、それがどんどん増している。この状況が、来るべき時代の地域の緊張をはらんだ展開に照らし、AKPに新たな責任を負わせていることは明らかだ。別の表現をすれば、トルコは中東において民主主義を求めるする人々の「基準点」となり始めているのである。

それゆえ、「(ゲームの)延長戦」に入っているとはいえ、すでに彼の時代が幕を閉じたと確実視できるホスニー・ムバラーク大統領や彼が代表している階層の人々が、とくにエルドアン首相の先日の会見後、トルコへの嫌悪をつのらせたと予測するのも困難なことではない。この地域のほかの独裁者らもトルコについては確実に同様の感情を抱いているだろう。

カイロからの「トルコを含む全ての国は、皆それぞれ自国のことを考えろ。我々の内政を干渉するな」という声明などは、実際、彼らの怒りをよく反映している。その一方、ムバラーク政権が、ワシントンやEUからの「もういい、出ていけ」という呼びかけよりも、トルコからの似たような呼びかけに対し、より怒りを覚えたと想像するのも容易だ。

理由も明確である。米国にしぶとくたてつき、抵抗することは、アラブ世界では政治的ポイントになる要素だからだ。それに対し、中東で人気が高いイスラム教徒の首相が政権を担うトルコにたてついても、その利益は生まれない。こうした一般状況が、AKPの側からみたら喜ばしいものであると想像するのは、占い師でなくても簡単だ。

しかしながら、トルコ、そしてAKPの評判が高まるにつれ、エルドアン政権にとっては、まず国内で民主主義・人権・正義の点を問題を解決しておくという責任も増大している。いい方を変えれば、AKP政権は、エジプトでは暴徒に対しイェニチェリの掠奪者よろしく振る舞う警察に怒るくせに、トルコ国内では、平和的なデモに対し不均衡な暴力を振う警察の背後にいる、という矛盾した状況なのだ。

中東でトルコに触発され、民主主義的で公平な社会へ向かって進もうとする人々の期待にトルコが応えようとするなら、トルコはまず自分がこの点で説得力のあるものである必要がある。その一方で、AKP政権には各地の支持者や信奉者には見えていない、もうひとつの責任もある。

ご存じのようにエジプトのムスリム同胞団や、チュニジアの同種のイスラム系政党「アル=ナハダ」の代表者は、「我々をAKPのようなものだと考えてください」と言っている。ならばAKPは、これらの政党との間で対話を強化し、彼らにトルコ・モデルの特徴を説明し、民主主義・正義・人権の道から逸脱しないよう説得することが必要になる。

別のいい方をすれば、AKPは、真の民主主義が「マジョリティによる専制政治」ではなく、少数派の権利を保障するものであること、そして選挙に敗れれば去らねばならない秩序であることを、中東の支持者たちに説明しなければならない。ここでのAKPのもうひとつの責任は、欧米に向かって、ムスリム同胞団がちゃんと理解されるよう手助けをしなければならない。目下、欧米社会は、エジプトで何百万もの国民が期待を寄せるこの政党を「鬼」でも見るような目で見ている。エジプトのイラン化を想像しパニックにとらわれているのだ。トルコはこの人々の目を晦ますパニックの克服のため、重要な役割を果たしうるだろう。

結果的に、中東で起きていることは、欧米や他の地域において、トルコへの注目を増大させる要因となっている。米国オバマ大統領がエジプトの展開について見解を得ようとエルドアン首相に連絡をとったように、アンカラへ相談する人々の数も増えるだろう。しかし説得力のあるアドバイスをするためには、前述したように、AKPはまず自分の国の問題を解決する必要がある。

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( 翻訳者:原田星来 )
( 記事ID:21373 )