TİKA(トルコ協力開発機構)とは何か?―会長に聞く
2011年02月14日付 Hurriyet 紙

トルコ協力開発機構、略してTİKA。名前はしばしば耳にするが、どのような活動をしているのかということはあまりよく知られていない。TİKAのムサ・クラクルカヤ会長にこの点について詳しくお話を伺った。

トルコ協力開発機構(TİKA)とは何か?どんなことをしているのか?トルコにどのような利益をもたらすのか?
TİKAのムサ・クラクルカヤ会長の次のような思い出は、この質問にまとめて応えてくれる内容だ。

TİKAはその時、マケドニアで文化プロジェクトを行なっていた。開会式にはクラクルカヤ会長も参加した。会長はしばらくの間、式を離れて住民たちの中に混ざり、とても流暢で正確なトルコ語を話すマケドニア人のおばあさんと話を始めた。会長が「おばさん、何か困っていることや心配なこと、望んでいることはありますか?」と尋ねると、答えはすぐに返ってきた。「水で困っていたけど、TİKAっていう人が来てね。村に水を引いてくれた。このTİKAっていう人には感謝しているよ…。」

TİKAは、トルコの国際支援機構である。アメリカでいうところのUSAID(アメリカ合衆国国際開発庁)、日本でいうところのJICA(国際協力機構)だ。EUの大国もすべて、それぞれの支援機構をもっている。トルコも1990年代に自国の機構を設立した。その活動はまず、ソ連から独立したトルコ系諸共和国への支援から始まった。現在TİKAは、100カ国以上に対しさまざまな種類の支援を行なっている。

ムサ・クラクルカヤ会長は、TİKAの役割を次のように述べる。
「世界を見ると、TİKAのような組織はまったく新しいというわけではありません。形態は違っていても、文明の構築を目指す国はどこも、こうした機関を利用しています。」

各国の支援機構は、その国の外交と切り離せない。クラクルカヤ会長は、「TİKAや同様の組織は、国家の安全保障政策とも直接関係しています」と述べ、次のように続ける。

「すべての国において、支援戦略を打ち立てる際には明確な優先事項があります。この優先事項は、時に経済、また時に、過去において結びつきのあった人々もしくは国々との繋がりの強化であったりします。自国が影響力を持つ、新たな分野を創出したいという望みでも有り得ます。我々は支援方針において、開発や人材・技術協力支援といった活動を重視しています。」

■「理念は無条件支援」

TİKA には、USAIDや欧州諸国の支援組織との重要な違いがある。TİKAの理念が「無条件支援」であることだ。

TİKAは何をしているのか?クラクルカヤ会長は次のような一言でまとめている。
「TİKAは、技術支援を行ないつつ、トルコが比較的優位にある分野においてプロジェクトを行なっています。」

現在23カ国で活動する26の事業所の仲介によって、これらの支援は行なわれている。2010年にトルコが行なった、TİKAのプロジェクトを含む支援の合計額は90億ドルに達した。

■「独裁者にではなく、住民に支援を行なっているのです。」

ムサ・クラクルカヤ会長は、TİKAの特徴は「無条件支援」であると語った。

トルコも経験したことであるが、多くの西欧諸国からの支援は「民主主義への移行」といった条件つきで行なわれる。トルコへの支援には南東部にて使用すること、といった条件がついていたことや、政府がこれを拒否したことは、今でも多くの人々の記憶にあるだろう。

一方、TİKAの支援にはこのような条件がない。たとえば、全世界から批判を浴びたスーダンの独裁者アル・バシールにも、トルコ政府はTİKAを介して支援を行なっている。我々がこれについて質問すると、TİKA会長は率直に答えてくれた。

「条件をつける側がつけた『条件』とは、その国家が内政によって決定すべき事項にまで向けられており、その国を民主化しようとします。我々はこれについてこう考えます。我々も民主主義の発展を願っています、しかし第一の目的は、住民の基本的な必要に応じ支援を行なうことです。我々は独裁者に対してではなく、支援を必要とする条件下にいる住民たちに対して支援を行うのです…。」
そして、クラクルカヤ会長は、スーダンでのTİKAの活動を次のように説明する。

■「病院の建設によって独裁者が利益を得ることはないでしょう」

「我々は最近病院を建設しました。その病院から独裁者が利益を得ることはないでしょう。そして私はその人を独裁者と呼びません。私にとって重要なのは住民の要望です。その体制は、その国の人々が決定するべきことです。もちろん国際支援組織や社会が公式にさまざまな制約を行う場合には、我々も制約を行なうでしょう。しかし今、独裁者から解放されないのなら支援しませんよ、といった方針は、我々がとるものではないのです。」

クラクルカヤ会長は、スーダンの次にウズベキスタンの例も挙げた。

「ウズベキスタンと我々の外交上の関係は非常に冷えきっています。全くといっていいほど外交関係が築かれていません。しかしTİKAとしては、我々の関係は非常に良好です。我々の任務の一つは、悪化した関係を向上させることです。目標は(二国間に)橋を架けることです。外交関係が悪いからと、私もウズベキスタンに背中を向けてしまうことは容易ですが、私はウズベキスタンの人々のことを考えているのです。たとえそこの元首が住民にすら好まれていないとしても、それは住民が正すべきことです。私はそれよりも、いかにして人々を愛情で結びつけることができるだろうかと考えています。この過程で国同士の繋がりを得られたらどんなに嬉しいことでしょう…。」

■フェトフッラー・ギュレン教団との提携はあるのか?

クラクルカヤ会長に、もう一つ批評的な質問をしてみた。
TİKAはアフリカや、カリブ海、中央アジア、バルカンでも活動をしている。これらの地域では、トルコのNGOも活発に活動している。たとえば、フェトフッラー・ギュレンの精神的指導によって設立された学校や、職場、工場がある。TİKAは、世界のさまざまな場所でこの種の組織と協力しているのだろうか?
TİKAのクラクルカヤ会長の返答は次の通り。

「『これこれの教団もしくはNGOと協力しているのですか?』とお尋ねになるなら、現場でトルコの名を冠して働き、物資援助をなしうるすべての組織と協力しなければならないと我々は考えている、と答えます。特に開発のために我々との協力を望んでいる人は誰であっても歓迎します。二年前、このために特別なグループを作りました。このグループを作った基本目的は、海外でNGOが抱えている問題に対して援助を行い、解決することです。もう一つの目的は、誰であれ関心を持っているプロジェクトあればそれを彼らに提案すること、もしくは一緒に実施できるプロジェクトがあれば、協力モデルを確立することです。」

■最大の援助はアフガニスタンへ

TİKAの最近の支援においては、アフガニスタンが最大の援助を受けた。
クラクルカヤ会長は、援助の詳細を語った。

「地域別支援を見ると、TİKAが設立以来重視してきた中央アジアとコーカサスが最大の割合を占めています。この後に25%を占めるバルカンが続きます。その次はアフリカと中東です。集中の度合いでは、現在アフガニスタンが一番です。プロジェクトのために一年に10億ドルの予算が組まれました。キルギス、カザフスタンの割合が常に大きい理由は、マナス大学およびアフメト・イェセヴィ大学です。これらの大学に対する我々の支援は国庫補助ほどもあります。近年の経済危機で、本来なら行うべき集中投資を実施できなかった国もないわけではありません。たとえば、パキスタンです。パキスタンでは、2005年に地震が、昨年には洪水が発生し、来年度は集中的に支援を予定しています。パレスチナはいつも上位にいます。パレスチナの国家建設を支援し、必要に応じて援助を行なおうと努めているからです。」

■イスラエルとの問題はない

TİKAはパレスチナで非常に活動的である。ではイスラエルはどうか?トルコ、イスラエル間で起きたマーヴィ・マルマラ号事件は、TİKAの活動にどのように影響したのか。

クラクルカヤ会長は「我々にはそれほど影響しなかった」として、次のように続ける。
「イスラエルと我々の活動にはなんの問題もありません。むしろ反対に、イスラエルのTİKAともいうべき『マーシャル』は、我々がパレスチナでも他の地域でも、技術支援を継続することができると言っています。我々はイスラエル当局がパレスチナを含めた多くの地域において我々との協力を望んでいることを知っています。イスラエルでの活動を妨げるようなことは何も起こりませんでした。」

■「中国には拒まれ、ロシアでは事業所の設置でトラブル」

TİKAの目的は、支援の実施、技術の共有であるが、しばしば「他の目的」、たとえば思想的活動かではないかと疑う国々も出てくる。クラクルカヤ会長によると、最も懐疑的であった国の一つはウクライナであった。
「ウクライナでのプロジェクトは(長い間)合意に至ることができませんでした」とクラクルカヤ会長は述べる。
「彼らは我々の支援を喜んでいると言っており、更に増やすよう望んでいます。その上、クリミア半島での支援をウクライナまで拡張してほしいと言いました。我々もキエフに事業所を開き、ウクライナ当局が提案するすべてのプロジェクトを歓迎するとも述べました。しかしそれにも関わらず、プロジェクトの合意に二年間もかかりました。」

TİKAは、中国でも活動できなかった。ムサ・クラクルカヤ会長は次のように説明している。
「中国で実施したかったプロジェクトがいくつかありました。歴史的遺産の修復を申し出ましたが、返答はありませんでした。再び申請しましたが、やはり返答は得られませんでした。しかし我々はこのプロジェクトを、トルコ系文化の保護やトルコ系文化遺産の保護ではなく、人類の遺産の保護であると考えています。このため、ユネスコと協力して実施しようと模索しています。ロシア連邦内に存在するいくつかの共和国でも活動を行なうためにモスクワに事業所を開きたかったのですが、それも返答が得られませんでした。これらの国々との関係発展の役割とは、彼らと提携して何かできるだろうかと考えることから始まるのです…。」

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( 翻訳者:篁日向子 )
( 記事ID:21499 )