デモ犠牲者の母へのインタビュー
2011年02月14日付 Al-Ahram 紙


■殉教者カリーム、母親にムバーラク辞任の吉報を伝える

2011年02月14日付『アル=アハラーム』

【イブラーヒーム・アッ=サハーウィー】

フワイダー・ムハンマド・ハッサーナイニさんは大切な息子、そしてこの国すべての息子であるカリーム・ミドハト・ムハンマド・ワハバさんを、至高なる神の御許へと送ったが、驚くべき気丈さで語り、我々を涙ぐませた。

1月29日土曜日、彼女の息子は警官が放った3発の銃弾に倒れた。そして2月10日の夜、彼は母親と双子の妹の夢の中に現れ、2人に話しかけたのだったが、数時間後になってその言葉が、ムバーラクの辞任を伝える吉報だったことがはっきりした。

カリームさんの母親フワイダーさんはこう語った。「息子は友達と外出しました。1月29日に、犯罪者や脱獄者やごろつきから私たちを守るため、内務省に隣接するアービディーン地区の他の住民たちと一緒に自警団の活動を始めたのです」。(中略)

「通りに出る前、息子はずっと私にくっついて手にキスをしたり、双子のイーマーンと冗談を言いあったりしていました。私は息子が通りに別れを告げるかのように行ったり来たりしているのを見ました。5分おきに電話をくれて、そんなにも心配してくれていることに驚かされました。そして夜11時、私たちは内務省の狙撃手の一人が3発の銃弾を彼に打ち込んだことを知りました。2発は胸、1発は首で、アハマド・マーヒル教育病院に搬送された後に亡くなりました。一つ大事なことを言わせて欲しいのですが、この日に亡くなったのは180人です。メディアが言うようなたった30人ではありません。私は彼らをこの目で見たのです。どうか信じてください」。(中略)

辞任演説を聞いてどう感じたか尋ねると、殉教者の母は答えた。「大声で叫びました。自由と権利と正義の叫びです。息子の血が無駄にならなかったという喜びの叫びでした。そしてそれはまた、息子を失った代わりに数百万人から愛をもらった母の叫びです。私のもとに世界中から電話が来て、私は自由の殉教者たちすべての母だと言ってくれました。神は息子を病死者ではなく、殉教者として御許に召されることを望んだのです。私は息子を失いましたが数百万の息子を得ました。」(中略)

殉教者の家族が望むことについて、彼女はこう話した。「私たちの望みは全ての国民と同じです。なぜなら殉教者たちは私たちだけの子供でなく、全ての人々の子供だからです。彼らの血はエジプトの大地を汚職者たちや日和見主義者たちから救いました。私たちは血の代償と政権の裁判、国民の資産と土地の返還、国中の汚職の記録の公開を要求しなければなりません。そして国民の当たり前の権利、つまり医療と労働と住居と教育の権利、そして自由に尊厳をもって生きる権利もまた要求しなくてはなりません。検事総長に、汚職に関わった者たちや、破壊と殉教者たちの殺害への関与が噂されている者たちの渡航禁止と捜査を要求します。毎年1月25日を殉教者たちの記念日にして、イスラーム教徒たちは礼拝し、キリスト教徒たちは殉教者たちの魂のためにミサを行うことを求めます。その日は人々にロウソクを灯して花を置き、コーランの『開扉章』を殉教者の魂のために読むことを呼びかけます。私たちは人権団体や自由のための諸団体、記者連盟や弁護士連盟に、殺人者や汚職者たちの裁判、過去30年間の政権の裁判を求めます。なぜなら、エジプトの殉教者は今回の革命で斃れた人たちだけではなく、この30年の間に政権によって殺されたフェリー事故の犠牲者、上エジプトでの列車事故の犠牲者、発がん性物質に汚染された食品の犠牲者たちも全員、殉教者なのですから」。

Tweet

Tweet
シェア


原文をPDFファイルで見る
原文をMHTファイルで見る

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:石川貴子 )
( 記事ID:21525 )