軍から追放のアレヴィー派軍人、法改正による復権に喜びの声
2011年03月13日付 Zaman 紙


高等軍事評議会(YAŞ)の決定により軍から追放された人々への復権に関する法案が議会を通過したことは、犠牲者たちを喜ばせた。1991年にYAŞの決定により軍から追放されたサーリム・アイナジュさんも、(この法案通過を)喜ぶ人の一人だ。(追放された人々は)アレヴィーであったと話すアイナジュさんは、以下のように語った。「私たちは敬虔なアレヴィーです。妻はスカーフを被っていますし、私も礼拝を行っています。両親にはこの問題について話すことができませんでした。説明することはとても難しいことです。「預言者ムハンマドの軍隊」とも言われているトルコ軍から、礼拝を行なっているために追放されたなんて、あなた方だって誰にも話すことはできないでしょう。(追放した人々は)必ず、罪を犯したから追放されたのだと言います。彼らは礼拝を行なうと、軍から追放されるらしい、とさえ言っています。悲しい出来事はもう一つあります。かねてより互いを行き来していた親戚や友人たちも、家に訪れなくなりました。(復権で)われわれが不当な場所へ追い込まれたのだということを、ようやくみながわかってくれるでしょう。」

イズミル航空技術学校を1982年に卒業したサーリム・アイナジュさんは、1983年空軍3等曹長としてマラトゥヤにて任務に就いた。4年間ここで過ごした後に、アマスヤのメルズィフォンへ異動になったアイナジュさんを、空軍司令本部は任命書によりアンカラに呼んだ。エティメスグトゥにある来客用施設へ通された各県から来た25人の兵士たちは、彼らが遭遇した光景を前にショックを受けた。窓はすべて木の板で閉ざされ、光の入らない監獄のようになった来客用施設へと彼らは収容された。そして答弁書を渡された。嘘発見器へつながれた兵士たちの目は、トイレに行くときでさえも何も見えないようにまずは綿で、そしてその上から布を被せられた。

抗弁の後、28日間の監房刑を言い渡されたサーリム・アイナジュさんは、そのときに経験したことを以下のように話した。「来客用施設と呼ばれた監房へ入った日、私たちの抗弁書を彼らは受け取りました。25人でした。どの窓も木の板で閉ざされ、日光が入り込まない状態でした。私たちは陸軍司令官の署名とともに抗弁書を渡しました。彼らは『反動主義的な活動を行なったと認められた。この件についての抗弁を書きなさい』と言い、私たちの前に紙を差し出しました。最初の日は抗弁を書きました。数時間後、弁護人がやって来ました。『28日間の収監が罰として下された』と述べ、その場所で私たちは刑に服しました。トイレに行くときでさえも目を塞がれて連れて行かれました。審問に向かうときも目を綿と布で覆われ、どの場所かもわからない状態で抗弁書を渡しました。私たちには何も資料は渡されませんでした。嘘発見器につながれました。」

1991年12月にYAŞの決定によって軍から追放されたと話すサーリム・アイナジュさんには、その後身体的にも精神的にも苦しい日々が待ち受けていた。軍から追放された後に靴下の店を開いたと話すアイナジュさんは、次のようにコメントした。「人の罪は、それが何であれ、裁判所で裁かれなければなりません。汚名をきせたまま一方的に追放することは、大きな不当行為でした」

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( 翻訳者:指宿美穂 )
( 記事ID:21814 )