Ali Bulaçコラム:トルコは中東のどこにいるのか?
2011年04月11日付 Zaman 紙

トルコがここ8年間続けてきた中東政策が、「決壊」点に到達したとは言えないが、困難なプロセスを経て、ここ最近日ごとに悪化の道をたどってきたと言うことは可能である。

今日まで中東地域に対して実施されてきた「パブリック・ポリシー(公共政策)」での成功だけでは、頭をもたげ始めた疑念や揺らぎを取り除くことはできない。(中東政策にての)続く成功というのは、国内世論にむけての「国民との関係」構築の様々な試みでもって制限されている。先週、エルドアン首相は、「トルコに対する反対キャンペーンを誰が操作しているのかが判明した」と述べた。しかし、反発は市井の聖職者(ウラマー)が意見を公表するまでに至った。(リビアの)ベンガジで、4月1日の金曜礼拝後に集まったリビアの反政府派は、エルドアン首相が「(リビアの)反政府派に武器が供給されることを望んでいない」として、(エルドアン首相に対し)抗議のデモを行った。金曜礼拝をとりしきったシェイク・アフメト・ムラービー師は、「エルドアン首相はカダフィ側についている」と述べた。

先週再び、イスラム世界で尊敬を集める知識人の、ユースフ・エル・カルダヴィー氏は、エルドアン首相に対して呼び掛けながら、「リビアへの態度をしっかりと明確に表明すること」を望んだ。カルダヴィー氏は、(リビアでの騒乱の)初日以来、反政府派側に立つ重要人物である。アラブ世界の何百万人という人々が、彼の話に耳を傾けている。

最近は、国際ムスリム知識人連盟のセルマン・アヴデ副総長が、同連盟の名で、エルドアン首相にメッセージを送った。アヴデ副総長はエルドアン首相に対し、「手を民衆の血で染めた指導者たちと握手しない」ように語っている。「自由とは、リビア及びシリア国民の権利である。あなたの目前には、二つの選択肢がある。一つは過去との調和、もう一つは未来との調和。どちらを選ぶかは、あなた次第です!」
在カイロのトルコ大使館の前で行われた抗議活動におけるプラカードは大変興味深かった。「カダフィとともにエルドアンも倒れますように!」。しかし、一年前のパレスチナでは、「エルドアン首相よ、我々を救ってください」というプラカードが掲げられていたのだ。

これら全ての出来事をどう分析するべきか、見てみよう。

まず、NATOがリビアに介入することについては、エルドアン首相は、「NATOがリビアに何の関係があるのだろうか?」と述べていた。それから数日とせず、トルコは、NATOのリビア介入を擁護し始めた。実はこの間、世論があまり注意を払っていなかった重要な事件が発生していた。北イラクのペシュメルゲ(クルド人の武装組織)が、(北イラクの)キルクーク入りし、ある情報によれば、約1万人のペシュメルゲがトルコ国境に向かったという。丁度その間に平和民主党(BDP)は、「市民不服従」運動を開始させることを公表していた。トルコは、「ある危険」を感じ取り、リビアについての基本的な政治姿勢を一瞬にして転換させた。

このことは我々に、トルコのアキレス腱がクルド問題であることを再度改めて想起させる。この悩ましい(クルド)問題を根本的に解決せずに、トルコは中東諸国の調整役として活発的な役割を演じられると思い描いていたところで、瞬く間にして出鼻をくじかれた格好である。

二つ目として、中東諸国での政治活動は、パブリック・ディプロマシー(広報外交)の次元では中東諸国の国民相手にすすめられているが、しかし実際的な協力や有機的関係になると、体制側や政権のエリートたち相手に進められているのだ。チュニジアとエジプトでは、トルコは準備を整え、簡単に成功を収めた。ベンアリ前チュニジア大統領も、ムバラク前エジプト大統領も消え去る者であるのは明白であった。そして西側諸国も、このことに躊躇はしていなかった。(しかし)リビアとなると、状況は異なった。カダフィ大統領がこれほどの抵抗を示したのは計算外であり、西側諸国も実のところこの問題において断固たる考えがあるようにはみえない。こうした状況を組み合わせた結果、トルコは宙ぶらりんとなった。しかし、もちろん最終的には西側諸国側に立つ選択を行った。シリアについても、トルコは西側諸国とイラン、国民とバース党派の間に立たされ身動きが取れない状況にある。

このことは、次のような結論に我々を導く。これまでもしばしば指摘してきたように、イスラム世界と西側世界の間には「折り合い」によって決着をつけることが不可能な、根本的な不一致が存在する。対立が深刻化すると、トルコは西側諸国の側につくよう強制される。

これにより、「中東地域の戦略を握る国家、リーダーシップ」というトルコの主張は、レトリック(言葉だけ)のレベルに転落する。具体的協力関係を体制側と、そしてパブリック・ディプロマシーを国民と進めるという政策が説得力をもつのは、恐らくここまでである。

セルマン・アヴデ氏の言うことは正しい。
「西側諸国と中東諸国の体制側は過去を、国民は将来を代表している。トルコの国内政治において、公正発展党(AKP)を政権につけたのが、反官僚主義、国民大衆や市民中心主義であったことを思えば、今、トルコを、中東で尊敬され発言力をもつ国にするものは、民衆側に立つという態度である。」

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( 翻訳者:石川志穂 )
( 記事ID:22115 )