Derya Sazakコラム:トルコのフランス人でいること(トルコを知らないこと)
2011年04月15日付 Milliyet 紙

エルドアン首相はストラスブールで選挙活動を行った。欧州評議会会議でスピーチし、トルコで議論されている問題について強いメッセージを与えた。

ダボス会議では「ちょっと待った!(One minute!)」という言葉が生まれたが、この会議では、エルドアン首相が宗教マイノリティについて質問したフランス人議員に反発を込めて言った「トルコでフランス人でいること(=トルコを何もわかっておられないのですね)」という言葉が残った。

ヨーロッパ人が「トルコを理解していない」という問題は、ただ一つの質問に限定されるものではない。選挙妨害から逮捕された新聞記者に至るまで、「批判」が含められた多くの質問が向けられた。

ルクセンブルク選出のアンヌ・ブラッスール議員は言論の自由を汚す所業を議題に上げ、「『イマームの軍隊』という書籍が検閲に送られ、その著者で新聞記者のアフメト・シュク氏が逮捕されました。この理由を説明していただけますか?」と問うた。

エルドアン首相は、民主主義において書籍の回収と検閲、また報道や記事が原因で記者を刑務所へ送ることはあり得ないと言う代わりに、自身を「起訴する側」に置き、欧州評議会で賛成をえられないような類別をするという間違いを犯した。
本を「爆弾」と例えるなど理解されるはずもない!リチアードン駐トルコ米国大使が最近述べたところでは、トルコにおける報道の自由は「言動不一致」である!

欧州評議会会議はトルコの新聞記者の状況を調査するため、委員会を派遣する。
ブリュッセルでも、長引く訴訟に対する反発が出てきた。欧州評議会のトルコ審議役のリア・オーメン・ルイジテン氏は、「国に正常に機能する裁判制度があるのなら、3年の懲役刑は妥当でない」と話したという。
エルドアン首相はこれらの批判に、欧州評議会で「自省」しながら返答できたはずだし、「詩の鑑賞が逮捕理由となる国」で不当逮捕された者を擁護できるよう、法律を改正するというメッセージを述べることができたはずである。しかし首相はその逆をなし、(本を爆弾に例えるという)受け入れがたい比喩を行った。

「爆弾の使用は罪だが、爆弾を作る原料を使用することもまた罪だ。ある所で爆弾が使われれば何であれ、信管から他の物質に至る何であろうと、通報があれば治安当局がこれらを回収するではないか。(本の回収という事態においても)この種の用意があり、司法がこれについて決定を下したのだ。治安当局に「この住所でこれこれの準備がある、行ってこれらを回収してくるように」と言ったのだ。」

首相はこれらを述べる一方、司法と執行はそれぞれ独立していると強調している。
しかし、オルハン・パムクの例のように、ヨーロッパのフォーラムにおいて、新聞記者や作家に関する決定は法律や判決に基づいているのだと政権が責任逃れすることは容易でない。とりわけトルコのように、過去の「民主主義の経歴」が傷だらけで、1980年9月12日の軍事クーデターでEU加盟が宙づりになっていた国が、EU加盟交渉プロセスであれほどの改革を経た後に再び法律違反だと言われるのは悲劇的でなことである。

外国人が「トルコのことを何もわかっていない」ことのそもそもの理由はこれではないだろうか。

Tweet
シェア


この記事の原文はこちら
原文をPDFファイルで見る
原文をMHTファイルで見る

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:細谷和代 )
( 記事ID:22149 )