Hasan Cemalコラム:エルドアンはクルド問題で「官僚化」したか?
2011年04月16日付 Milliyet 紙

[訳者注:6月総選挙に向け公正発展党の候補者リストが発表された。その中にクルド系候補の数が少ないことが議論の的となっている。]

ある人はいう。「タイイプ・エルドアンは、公正発展党のクルド系議員を立候補者リストから一掃した。これは、クルド問題解決に大きな失望をもたらしたのみならず、後退がはじまったことを示している。」

ある人はいう。「この『一掃』は徹底したもので、クルド問題について多少なりともデリケートな立場にある議員は、まったくリストに加えられなかった。」

ある人はいう。「これには、おそらく公正発展党中央の、ミッリー・ギョルシュ派や、民族主義者行動党からの移籍者が影響力を発揮したのだろう。」

ある人はいう。「これは後退を意味している。国家や軍は、かつてクルド問題を単に安全保障の問題だと考えていた。しかしそうではないことが、苦い経験のなかで理解された。公正発展党は、この問題を、まず経済発展、食糧、雇用という切り口から扱った。しかししばらくすると、問題がこれだけではなく、アイデンティティ問題がより重要であることがはっきりしてきた。」

ある人はいう。「アイデンティティ問題が全面にでて、そのためにいくつかの方策が講じられたが、しだいにタイイプ・エルドアンにとってそれらは、失望の種となり始めた。この失望とは、『クルド人のいう「解決」とは、すなわち国家の分裂だ』と要約することができるだろう。」

ある人はいう。「この失望が、タイイプ・エルドアンを過去に振り向かせる理由となったのだろう。こうして、安全保障、食糧、雇用といった面が、より大きく幅をきかせるようになった。言いかえれば、国家や軍と、新たな接近を生んだ。」

ある人はいう。「アンカラの官僚主義のウイルスともいえるだろう。最後には、そのウイルスがエルドアンにもうつったのだろう。」

ある人はいう。「これは、つまり「官僚化」ということだ。「アンカラ化」といってもいいだろう。クルド問題へのとり組みでの失望は、おそらく、最後にはエルドアンをこうした方向にひきづっていったのだ。」

ある人はいう。「タイイプ・エルドアンがクルド問題やその解決策を、昔からの手法へ変えようとしているというのはいいが、6月12日の総選挙や民族主義者行動党の要素も忘れてはならない。民族主義者行動党を、最低得票率10%以下に押しとどめるため、公正発展党への民族主義的な風向きを出来る限り強めようとしているのだろう。クルド系議員に関するラディカルな態度も、そのせいだろう。」

ある人はいう。「しかし、クルド系議員の一掃は、公正発展党が平和民主党に対し、得票と議員数で敗北する結果につながる。」

ある人はいう。「2007年の選挙では、47%に上った公正発展党の得票率のうち、14%はクルド人票だった。クルド人の票の40%は公正発展党にいっていた。平和民主党も、40%か、それを少し上回る程度だった。公正発展党は、6月の選挙で、クルド票に関し失望を味わうかもしれない。後退した姿勢や、知名度の低い候補は、選挙結果でエルドアンに高いつけとなって現れるかもしれない。

ある人はいう。「エルドアンは、クルド問題で、トルコがどこへ向かっているのかをどれほど正しく読んでいるのか。選挙後の起こりうる危機をどれほど認識しているのだろうか。」

ある人はいう。「エルドアンのこの選挙での対応については、この時期に固有の問題として考え、それ以後についての論評は慎重にした方がいいのかもしれない。なぜなら、イムラル島にいるオジャランと対話をはじめた張本人はタイイプ・エルドアンなのだから。」

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( 翻訳者:トルコ語メディア翻訳班 )
( 記事ID:22174 )