グルジア国境の町、商業活況の夢、はかなく終わる
2011年04月20日付 Milliyet 紙

アルトヴィンのケマルパシャ町は、一時期小取引が活況を呈したイスタンブルのラレリ地区に似た市場の様子となり、1日に7千から1万人がグルジアからサルプ国境門を越え買い物訪れる所であるが、そこでの夢ははかなく終わった。グルジアがケマルパシャ町での商業の活発さを自身の利益にするために、入国する人々が買った繊維製品に18%の税金を課し、積荷しなければいけないとしたことでこの活況は失われた。約700もの店が開かれたケマルパシャ町では70%もの店舗が閉店した。抵抗する人々も既に赤字覚悟で残った商品を売りさばき、町から離れ始めた。

ケマルパシャ町は、コーカサスの人々向けの門戸であるサルプ国境へ最も近い居留地であり、アルトヴィンのホパ郡に位置する5千人の人口を抱える町である。そこで3年前から週末開かれる市場とその時始まった小取引は短期間で発達した。

■厩舎でさえ店となった

事業家達は、30近い仕事場がある町へトルコ全土からやって来た。そして、畑、倉庫、厩舎は、仕事場に変えられて、毎年1万5千~3万リラ(801,714-1,604,934円)の間で賃貸されていた。その町で700以上、そして大半が繊維製品を販売する店舗が開店された。ケマルパシャ町には毎日グルジア、アルメニア、アゼルバイジャンから約1万人が押し寄せ、店の看板はグルジア語で書かれており、店は24時間営業を始めた。国境を越えて来た人々は、低価格で買った繊維製品を自国にある店で、もしくは露天市で売り始めた。ケマルパシャ町はイスタンブルのラレリに似た市場の様子になり、年間2百万リラ(106,995,616)の予算であるケマルパシャ町も、市場、宣伝、広告、認可、営業許可証のような手続きから年間に約30万リラ(16,049,342円)の収入を得始め、2人であった取締官の数を5人へ増やした。

■商業活動の活気は3年で終わった

しかしグルジアは、ケマルパシャ町でのこの商業の活況を自身の利益にするために、入国した人々が買った繊維製品へつい先日18%の税金を課した。1か月前にも小取引を禁止し、買った商品を貨物に積んで国へ持って来るよう決定した。この2つのことが取引の活況を終わらせた。同じ国境税関を通りトルコへ行くグルジア、アゼルバイジャン、アルメニア人の取引の旅もこのように終った。業者の70%が店を閉め、何人かが破産し、また何人かが赤字覚悟で商品を売りなんとかしようとし、町の大通り、そして小路は閑散となった。店のオーナーは一縷の望みで、店を再利用にと窓に「賃貸」と掲げ、新規建設事業は停止した。

■取引は国境の向こうで開始することなく終わった

この間グルジアは、グルジア内のサルプ国境門に近い地域でケマルパシャ町に似たモデルを作ろうと努力している。トルコ商人のために新たな市場を作った。何人かのトルコ人経営者は国境の向こうへ行った。しかし高い税金と罰則のために、トルコ人実業家は事業を開始せずにその地から離れていった。ケマルパシャ町に残った事業者はパスポートなしでグルジアに入国できることと、グルジア政府が税金を下げることを最後の希望として待っている。

■ケマルパシャはゴーストタウンになるだろう

ケマルパシャで店舗を開いている実業家の一人であるファティフ・オズジャン氏は、「一時、集まった人の数は1万人を超えていた。しかしグルジアが下した決定後に行き来する人の数は50人もいなかった。店は次から次へと消えていっている。我々も残った物を売りさばいて店じまいします。ここは再びゴーストタウンとなるでしょう」と述べた。

イスマイル・ケスキン氏も、「2年前は非常に事業拡大の可能性があった。トルコへ外貨が入ってきていた。しかし最近の決定以降、ここにはもはや誰も来なくなった。仕事はもはやない。トルコの関係者達がこれに介入することを望んでいます」と述べた。

事業者の一人であるアリ・カラジャ氏も、「両国の間でこの小取引に基づく2017年まで有効な合意があった。我々はこれを信じてやって来た。しかしグルジアは勝手にこの合意を破棄してしまった。グルジアから来た人々は、買ったものを持って帰れない。高い税金を課されたくないのだ。このため店の70%は閉店した。2つの大型商店をもっていたが、その1つを閉店した。もう1つも閉店させるだろう」と残念そうに語った。

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( 翻訳者:榎本有紗 )
( 記事ID:22202 )