イスタンブル運河計画、言いだしたのはエジェヴィト元首相?
2011年04月27日付 Milliyet 紙

レジェプ・タイイプ・エルドアン首相が発表した「イスタンブル運河」プロジェクトは、1994年1月17日に当時の民主左派党(DSP)党首、ビュレント・エジェヴィト氏が発案したものであることが明らかになった。エジェヴィト氏は当時ボスフォラス海峡の海上交通量の増加がイスタンブルに悪影響を及ぼすとし、解決策としてイスタンブルのヨーロッパ側に黒海とマルマラ海を繋ぐ運河をつくることを提案していた。

エルドアン首相は数ヶ月に渡って注目されてきた「驚異のプロジェクト」の詳細を今日発表した。しかし発表された「イスタンブル運河」プロジェクトは、17年前に故ビュレント・エジェヴィト元首相がほぼ同名で提案したものであることが明らかになった。この件に関してANKA通信の取材に応じた共和人民党(CHP)のハルジュ副党首は、エジェヴィト元首相が1994年1月17日に「イスタンブル運河プロジェクト」と題して黒海からマルマラ海に運河を開く計画を発表したことを語り、「エジェヴィト氏は、ボスフォラスで増え続ける海上交通がイスタンブルに与える影響を心配していた。ここを通るタンカーがボスフォラス海峡の交通混雑の元になっていると言い、これを解決する為に運河を提案していた。運河と湾を繋げることも可能だとして、運河周辺に商業施設を整備することにも触れていた」と話した。

■「エジェヴィト氏の案であることを首相が言っていれば…」

エジェヴィト氏はプロジェクトの構想について「イスタンブルの水問題を根底から解決できる。(この運河により)ヨーロッパ側にあるいくつかの湖への需要がなくなるのであれば、これらも運河に取り込めばいい。そうすれば運河のための掘削範囲や費用が削減できる」と詳しく話していたという。ハルジュ氏は、「つまりこれはエジェヴィト氏が1994年に発表した案なのです。首相は発表の中でこの考えがエジェヴィト氏の発案であったことに触れるべきでした」と話した。

■エジェヴィト氏はプロジェクトを地方選挙キャンペーンで発表した

ミッリイエト紙のウェブサイトで閲覧できる過去の紙面をみると、1994年1月17日付けの11ページにエジェヴィト氏のイスタンブル運河建設案の記事が載っている。それによると、当時のDSP党首であったエジェヴィト氏は、イスタンブル広域市長選にDSPから出馬していたネジュデト・オズカン氏と共に記者会見を行った際、ボスフォラス海峡の交通問題に触れ、解決策としてイスタンブルのヨーロッパ側で黒海とマルマラ海を結ぶ運河建設を提案していた。エジェヴィト氏は、運河ができればタンカーや貨物船の通行がスムーズになりボスフォラス海峡の混雑が緩和できることや、運河と湾を繋げることもできると主張していた。

■知る人ぞ知る驚異のプロジェクト

エルドアン首相とごく一部の側近によって考案された「驚異のプロジェクト」の内容は、2010年10月7日以降国内のメディアで以下のように報道されていた:

「Today’s Zaman紙がエルドアン首相に近い高官から入手した情報によると、首相は建国100周年となる2023年にイスタンブルのシリヴリ‐チャタルジャ間に新しい人口海峡の建設を考えている。プロジェクトはボスフォラス海峡における海上交通の需要がこの運河によって完全に満たされることを目指している。同時に、ボスフォラス海峡に新しい3番目の橋、ウイガルルク橋の建設も並行して検討されている。
イスタンブル広域市長時代や公正発展党(AKP)の設立でエルドアン氏と共に働いた人物は、プロジェクトの概要をToday’s Zaman紙に語った。首相と近しい高官は、驚異のプロジェクトの内容がイスタンブルに第二の海峡を建設することだと話した。
同高官はまた、この計画がエルドアン首相がイスタンブル広域市長だった時期からの案であり、2007年のイスタンブル洪水被害のあと具体的なプロジェクトとなったと明らかにした。2009年9月の洪水で31人が死亡したことを受け、プロジェクトの実現を決意したという。
同高官の情報によると、首相はイスタンブル広域市長時代にボスフォラス海峡の交通混雑をどう解消するか模索する中で、当初イズミット湾から黒海に繋がる運河建設を検討していた。しかしスィイルトで読み上げた詩によって市長の職を追われ刑務所へ送られたため、案のままで終わっていた。

■『3年前に決意』

2009年にトラキア、イスタンブルで起こった洪水が、市長時代に叶えられなかったプロジェクトを復活させる契機となった。イスタンブルの排水路を改善するには多大な費用がかかることが明らかになると、エルドアン首相はシリヴリ‐チャタルジャ間の排水路が黒海に繋がるような運河が可能かどうか検討するようになった。このためにイスタンブル大学の専門家から意見をもらい、イスタンブル第二の海峡が海上交通の混雑解消になり、ヨーロッパ側で想定される洪水災害の防止にもなると確信したという。
この高官からは、首相が建国100周年の2023年にプロジェクトを完成できるかどうかについての情報も得られた。ロシアとイタリアの両国関係者からはこれは可能だとの声が上がっている。新しい海峡は一からの建設になる為、エルドアン首相は莫大な収益をめぐって競争が起こることを懸念しプロジェクトについて公開しなかった。同氏の情報では、この新しい海峡プロジェクトは2011年の総選挙後に発表される予定だという。イスタンブル第三の海峡橋プロジェクトについても強い関心をもっているエルドアン首相は、二つのプロジェクトを並行して進めることを考えているという。イスタンブル第二海峡が実現したら、第三海峡橋という歴史的事業への着手も目指す。アジアとヨーロッパ大陸を結ぶこの橋が文明の邂逅点として最大のシンボルとなることを期待するエルドアン首相は、オスマン皇帝アブデュルハミト2世がボスフォラス海峡で計画した三脚架の橋を、第三ボスフォラス橋で採用したい考えだ。ボスフォラス海峡の混雑を解消した後なら三脚の石橋を建設できる見込みで、橋の名前はウイガルルク(文明)橋の予定だという。

一方交通省はサカルヤ川を使ってマルマラ海と黒海を結ぶプロジェクトに長年取り組んできた。ビナリ・ユルドゥルム交通相は去年行った説明で、黒海とマルマラ海をボスフォラス海峡に続いて繋ぐ、サカルヤ・プロジェクトを検討すると発表していた。このプロジェクトも最初の発案者はオスマン時代の大宰相であるソコルルル・メフメト・パシャであることが知られている。」

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( 翻訳者:湯澤芙美 )
( 記事ID:22293 )