Fikret Bila コラム:ミッリイェト紙、新時代―社主変更にちなみ
2011年04月29日付 Milliyet 紙

ミッリイェト紙は、トルコ報道界の基石の一つである。「報道における信頼」として表象されるのは、61年間をとおして、普遍的な報道規則に示した努力がもたらした結果である。ミッリイェト紙は、32年ぶりに社主を変えることとなった。ドアン・グループから、デミルオレン・カラジャン共同経営に経営権が移譲された。ドアン・グループが規模縮小の決定を発表して以来、ミッリイェト紙売却の準備が進められてきた。この結果、アイドゥン・ドアン氏は、ミッリイェト紙をデミルオレン・カラジャン共同経営に移譲するという適切な判断を下した。アイドゥン氏がこの判断を下す際に、売却による利益よりも、ミッリイェト紙の価値を、そして読者や働く人々のことを考えてこの決断を下したことが明らかとなっている。同紙創業者一族出身で、新社主の一人でもあるアリ・カラジャン氏が、アイドゥン氏のおかげで買収が円滑に行われたと述べたことからも、そのことが分かる。売却後にアイドゥン氏と顔を合わせた際に、ほっとした様子であった。ミッリイェト紙を信頼できる人たちに託したとの安ど感に包まれていた。

■デミルオレン家

エルドアン・デミルオレン氏は、トルコ実業界において、最も尊敬すべき、成功した人物の1人である。デミルオレン・グループは、どんな些細なことでも評判を落としたことがなかった。同氏は、トルコ経済の立役者の1人として、国民によく知られた存在である。ベシクタシュ区長を務めるユルドゥルム・デミルオレン氏は、紳士的であり、様々な価値の体現者であり、その立ち居振る舞いにより、常に高く評価される人物である。大統領や首相らとの長い外遊において、エルドアン・デミルオレン氏と話をし、私は多くのことを学んだ。世界、地域、トルコに関する分析、経済、社会、政治問題に対する彼の様々な視点や、将来を見据えた予想は、常に私に大きな影響を与えた。ミッリイェト紙の昔の共同経営者であったことも、この会話の中で学んだものだ。トルコ報道界、特にミッリイェト紙に対する親近感を本人から伺った。

■カラジャン家

ミッリイェト紙が、再びカラジャン家の手の渡ってきたことは、特別な意味を持っていることは疑う余地もないことである。アイドゥン氏は、創設者であるアリ・ナジ・カラジャン氏の子息であるエルジュメント・カラジャン氏から引き継いだミリエット紙という「たいまつ」を、32年後にアリ・カラジャン氏に再度引き渡すことにほっとしている。ミッリイェト紙をトルコ報道界にもたらしたカラジャン家が、一生懸命それに取り組むであろうことを疑問視するものはいない。アリ・カラジャン氏はミッリイェト紙の経営に再び携わることについて意見を求められた際、「エルジュメント・カラジャン氏とアブディ・イペッキチ氏のライン」を強調することが、まさに一生懸命取り組む最初のあかしであるとみなされるべきである。これらすべてのことがらが、アイドゥン氏がデミルオレン家とカラジャン家の共同運営を選んだ理由を明らかにしている。

■ミッリイェト紙の力

ミッリイェト紙は、最も強力で影響力のある新聞の一つである。力と影響力、そしてそれが背負った(責任の)重さは、常に発行部数よりもはるかに大きかった。エルジュメント・カラジャン氏とアブディ・イペッキチ氏のラインにより、トルコの報道界に普遍的な報道規則を定着することに先駆者的役割を果たした。アイドゥン氏は、彼が引き継いだミッリイェト紙において、この先駆者的役割を続け、更に強化し、前進させた。ミリエット紙の価値を不動のものにした。容赦ない新聞競争において、ミッリイェト紙を常に成功させてきたのは、この価値観とそれを育んできたスタッフである。アイドゥン氏が、ライバル紙に潰されかけた時期にも、ミッリイェト紙の存続、独立性と価値のために、厳しい条件の下で、どれほど奮闘したかを私はよく知っている。この困難が、我々記者たちに跳ね返ることはなく、常に信頼し自由に記者活動ができるような環境を整えてくれた。デミルオレンとカラジャンの時代にも、ミッリイェト紙のこの価値観を引き継ぎ、トルコ報道界において特別な立場を守り、よりよい成功をおさめることを約束してくれると確信している。

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( 翻訳者:田辺朋子 )
( 記事ID:22306 )