コラム:アラブ革命が国境を開く
2011年05月15日付 al-Quds al-Arabi 紙

■アラブ革命が国境を開く

2011年05月15日『クドゥス・アラビー』

【アブドゥルバーリー・アトワーン編集長】

昨日、パレスチナ人・アラブ人の若者達が、パレスチナ国境やイスラエルの検問所に押し寄せ、流血の衝突が起きた。レバノン南部のマールーン・ラースやゴラン高原のマジュダル・シャムス、西岸地区のカランディヤ検問所、ガザ地区のベイト・ハーヌーン検問所で生じた衝突は、パレスチナ難民が祖国に帰還する権利を目に見える形で示し、最も重要なアラブの大義―いや、むしろアラブの名誉と誇りを傷つける最大の侮辱と言うべきか―を想起させる出来事となった。

[ナクバ(パレスチナ人の故国喪失)以来]60年以上にわたり続いてきた、公的な沈黙に対する怒りと断罪を表現するために、反旗を翻した抗議者達がパレスチナ国境に押し寄せるのを容認せざるを得ないまでにアラブの諸政権を追い込んだアラブ革命に感謝する。

この40年で初めて、ゴラン高原の地がシオニストの占領者達の足元で揺さぶられるのを目にするとは、何と素晴らしいことか。またそれ以上に素晴らしいのは、シリアの清らかな血が再びかの地に流れて、アネモネの花の渇きを癒し、アラブ民族は自らの大義も、その民の権利も、決して忘れはしないと証明するのを目にすることだ。また、レバノン南部が新たな叙事詩を著し、イスラエルによる死の道具を恐れない信念をもった若者達の間から10人の殉死者と、多くの負傷者を出すことで、怒れるイスラエルに対峙したレバノン人とパレスチナ人のレジスタンスの栄光を、もっとも見事な挑戦の形を取って、あらためて我々の脳裏に蘇らせてくれるのを目にするとは、なんと素晴らしいことだろう。

無意味な交渉、偽りの和平特使トニー・ブレアのプラン、ラーマッラーのパレスチナ自治政府が職員の給料を物乞いするのに躍起になっている姿。こうしたことが個別に、あるいは組み合わさって、パレスチナの大義の主たちの胸に、屈従と降伏の精神を吹き込んだものと我々は思っていた。ところが、忍耐強く戦いを続ける西岸地区の中心部に位置するカランディヤ検問所で起きた流血の衝突は、こうした我々の思い込みが的外れであり、怒りの炎は灰の下でくすぶり続けていたことを証明するものだ。怒りと信念の入り混じった表情を浮かべて占領者イスラエルに立ち向かい、実弾発射によって負傷し、斃れる男女の若者たちを目にする者は誰しも、この民が一片たりとも自らの権利を放棄せず、いかなる犠牲を払おうとも最後まで歩みを止めないであろうことを、深く悟るだろう。

さらに、エジプト革命の若者連合もタハリール広場からパレスチナ領に向けて行進することで円環を完成させ、怒れる敵[イスラエル]への包囲を狭めてくれるよう、我々は願っていた。だが、エジプトとその若者たちに、それが出来ない事情があったことは承知している。彼らは生まれたばかりの革命の、困難な移行期間の最中にある。祖国に誇りと名誉と役割を取り戻させたエジプトの若者たちが、パレスチナを忘れることは決してない。だがこの偉大な成果が、国の治安と安定を揺るがすために宗教対立を勃発させようとたくらむ反革命に直面している今、エジプトが屈従と追従主義の底から這い上がることを望まないアラブの諸勢力やイスラエルの助けを借りて、敗北した腐敗政権の残党が糸を引いているこの陰謀に打ち勝つことこそが、最大限に優先される。エジプト革命の勝利を完遂することは、パレスチナのみならず、アラブ民族全体の解放への一番の近道であるからだ。したがって、この偉大な革命がエジプトをその真の民のもとに回帰させ、さらに我々のもとへと回帰させたことだけでも十分だ。
(中略)

祝福されるべきアラブ革命の炎が、イスラエルにも及びつつある。中東地域のみならず、世界全体の病とテロと不安定の源泉[であるイスラエル]に、アラブ革命が再び目を向けさせた。不正を続ける限り、イスラエルは安全も安定も得ることはない。イスラエルを支援し、庇護し、守り、その犯罪や戦争を正当化し、あらゆる国際法に超越させている西洋世界も同様だ。

胸に誇りをみなぎらせつつ、言いたい。マールーン・ラースの殉死者よ、ゴラン高原の、西岸地区の、ガザ地区の殉死者たちよ、ありがとう。いや、全てのアラブ革命の殉死者達に、例外なく、ありがとうと言いたい。彼らは我々の生に味わいを取り戻してくれた。尊厳と誇りと楽観、さらには近い日の勝利の香りを放つ、味わいを。

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( 翻訳者:山本薫 )
( 記事ID:22517 )