キュタフヤ県で地震、震度5.9でこの被害
2011年05月20日付 Hurriyet 紙


キュタフヤ県スィマヴ郡で一昨日の夜23:15に発生した震度5.9の地震は、人々が(これまでの地震から)教訓を得ていなかったことを再び示した。地震の後、人口2万5千人の郡は外部との通信手段が閉ざされ、電話は使えず、インターネットも接続できなかった。カンディッリの気象台サイトにも長時間接続できなかった。

キュタフヤ県スィマヴ郡で発生した地震は、ボアジチ大学カンディッリ気象台と地震調査研究所によると、震源の深さは7.6km、リヒター・スケールで5.9だった。地震の後、人口2万5千人の郡では停電となり、皆が電話をかけようとしたため、数時間にわたって正確な情報が入手できなかった。

■「前震」で命拾い

特に1999年8月19日のマルマラ地震後、専門家はことあるごとに建物の強度に注意を呼びかけてきたが成果はなかった。郡では倒壊したり横倒しになる建物があり、(そうでなくても)多くの建物が深刻な被害を受けた。地震で被害を受けなかった建物は皆無と言っていいほど少なかった。地熱発電線や水道管が破裂した。家が被害を受けた村の住民は行政側の早急な対処がないことに不満だ。

 スィマヴの人々を救ったのは、23:15に発生した震度5.9の地震から16分前の22:59に発生した震度3.8の前震だった。地域住民が自宅を放棄し、通りへ出てきたことが、被害の拡大を防いだ。この地震で一人が亡くなり一人が重傷、85人がけがをしたが、その後に襲ってきた地震は悪夢だった。

■救助活動の全容

 これまでの地震の教訓をきちんと生かしたのは、市民防衛隊、国際医療救出チーム(UMKE)、捜索・救出団体(AKUT)と赤新月社(クズライ)であった。UMKEは地震の際、隊員がビレジキやスィマヴから駆け付けた。派遣したチームの数は120。地震後、周辺地域から救急車や警察官がおくられた。112のチームが、断続的に入る連絡に対処するいっぽう、クズライは夜を寒いなかで過ごす被災者のためにスープの配給を行ったほか、市の定期市広場にテントを設営し始めた。スィマヴ国立病院の職員が入手した情報によると、今後地震の危険性があるため、治療中の75名の入院患者が退院した。

■被害状況の調査開始

現地で調査を行っているスィマヴ郡知事のヒュセイン・オラン氏は、「残念ながら2名が亡くなりました。スィマヴは今回の地震(による大被害)を何とか免れたと言えるでしょう。不満の多くは心理的なものです。現在被害状況の把握作業を進めています。見たところ、2棟のマンションが横倒しになった状態です。ほとんどの場所で割れたり壊れたりしたものがあります。こうした事態を受けて事態収拾を開始しました。テントの設営も行っています。郡の大部分は電気が復旧し始めました」と語った。公正発展党(CHP)のデニズ・バイカル議員(アンタリヤ選出)はスィマヴを訪れ、被災者たちに見舞いの言葉をかけた。

■テントの増設が急務

CHPのケマル・クルチダルオール党首は、スィマヴのテント村を訪問した。住民は地震で落ち込んでいるにもかかわらず、彼を拍手で迎えた。保健所のテントを訪問し、職員から話を聞いたクルチダルオール氏は、「非常に残念です。亡くなった方にアッラーの慈悲があらんことを。近親者にはお悔やみ申し上げます。クズライはこちらにテントを設営していますが、足りていません。アンカラの職員に会い、テントの数を増やすよう要請します」と述べた。夜をテントで過ごす住民たちを訪問し、見舞いの言葉をかけたクルチダルオール氏は、立ち去る際に民主左派党(DSP)のマスム・トゥルケル党首と会い、握手と言葉を交わした。

■専門家「余震がやってくる」

官邸の自然災害・緊急事態運営部地震対策委員会メンバーで、中東工科大学(ODTÜ)地質工学科の教員、アリ・コチイート教授は、(今後)スィマヴでは新たな大きな地震はないが、震度5以下の余震は何回も起こるだろうと語った。ドクズ・エイリュル大学の海洋学・技術研究所のアティッラ・ウルウ教授は、クレタ島周辺に地震があったとし、アナトリアプレートは1年に2.5cm西へ移動しており、この活動がエーゲプレートを押し戻していると語った。

■学生は逃げ、学年末試験は延期

地震のためドゥムルプナル大学のキャンパスがあるスィマズ、サプハーネ、パザルラルで5月26日から6月3日に行われる予定だった期末試験は、6月15日から23日に延期された。追試試験は6月27から28日、卒業単位認定試験は6月29日に行われる。地震が学生たちのいる寮や建物にも深刻な被害をもたらした。パニックに陥った学生たちの多くは故郷へ戻った。キュタフヤ県知事は、スィマヴ郡と周辺の村の小学校・中学校を5月30日まで休校としたことを明らかにした。

■2階が1階に

今回の地震最大の被害を受けたのは、ドルトゥ・エイリュル(9月4日)地区のハムザ・オジャン通りにある5階建てのマンションだ。建物の地階のオフィスが崩れ落ち、同時に2階の部屋が1階まで落ちてきた。4家族が住んでいた5階建ての建物は、隣の4階建ての建物の上に横倒しになり、奇跡的に崩れなかった。その際ストーブがひっくり返り、小規模の火事が起きた。

■横倒しの建物から壁が落下

ヒュセイン・オラン君はスィマヴ技術・産業職業高校、コンピュータ学科の最上級生で、スィマヴのドルトゥ・エイリュル(9月4日)地区の横倒しになった5階建てのマンションから怪我をして運び出されたが、命を落とした。オートバイが好きで免許を持っていたという彼の遺体は、アクバルドゥル墓地で埋葬された。ヒサルジュク郡で地震の際、心臓発作を起こしたハリル・ユルドゥルムさん(48)も亡くなった。またブルサのイネギョル郡で揺れた際、体調を崩したミュイェッセル・フェリヴァンさん(75)も心臓発作で死亡した。

■200万リラの援助資金

キュタフヤ地震の後、知事の要請に迅速に対応するため、官邸の自然災害・緊急事態運営本部から200万リラ(約1億220万円)が送られた。被災地域へなされる援助は次の通り:

イスタンブル、イズミル、ブルサ、アフヨン、ウシャク、キュタフヤから343名の捜索救助、保健所とクズライの職員、50代の救急車をはじめ、83台大の車と5匹の救助犬がスィマヴに送られた。

クズライはテント2013個、毛布10万枚、水2292本、2台の移動式キッチン、ストーブ3台、移動式サービス車5台、ジュース279本、食糧228袋、ベッド500台を送った。

 27名のチームが被災地で予備的災害調査作業を進めている。

 官邸の改善部局長と3名の建築技師からなるチームは、先の作業の調整のために被災地へ派遣された。

 スィマヴのレイレッキュリュではクズライによって設営された200のテントに地震で被害を受けた家に入る許可を得られなかった被災者たちが入った。テントへは食料とベッドが支給された。

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( 翻訳者:杉田直子 )
( 記事ID:22584 )