ウクライナ大使、ヒュッレム妃TV人気にコメント
2011年05月25日付 Radikal 紙


夫のスルタン・スレイマンに匹敵する知性の持ち主として知られたヒュッレム妃は、ウクライナのガリチア地方にあるロハティン村で生まれた。ウクライナからやってきてオスマン帝国で権力を握った美貌と能力ある女性は彼女だけに留まらない。しかしヒュッレム妃は近頃、トルコで最も話題になるドラマの登場人物の一人になるほど人気だ。

ウクライナのセルギイ・コルスンルキー大使は、一人のウクライナ女性の権勢を描いたドラマがこれほど有名になったことに喜びを示した。

スルタン・スレイマンの時代、ハレムでの女の戦いを取り上げた「偉大なる世紀」というテレビドラマを実際に見たことはないものの、トルコで高い視聴率を誇っていることを知る大使は、ヒュッレム妃に関する情報や逸話の多くが実際には事実ではないと言う。「伝えられているのは実際より美しい物語だ。事実に則ったものではないと考える。しかしそれでも私は、テレビドラマ制作者および脚本家の尽力に満足している。彼女についての話に驚かされることはない。ウクライナ女性は非常に強く、美しい。あれほど偉大なスルタン・スレイマンが彼女に恋をしたのももっともだろう」

大使は、トルコとウクライナは長い歴史の中で培った、互いに尊敬し合う、よい関係を築いてきたと言い、ウクライナ・コサックの時代からオスマン帝国と協定を結び、「両国の歴史でヒュレム妃のような例が出てくるのは当然」と話した。

ドラマによってヒュッレム妃への関心がトルコで高まったという大使は、以下のように続けた。「私の知る限り、トルコではドラマ制作者の解釈を批判的に受け止める人もいるようだ。しかしこれはフィクション。『皆があなたのやったことに満足するなら、あなたは間違っているということだ』という言葉もある。作品に関して議論が生まれるのはごく当然で自然なことだ。こうした関心によって、ヒュッレム妃のような存在がトルコでより理解されるだろう。スルタン・スレイマンはトルコで非常に重要な人物であったから、その横にヒュッレム妃がいたことは嬉しいことだ。」

■ヒュッレム妃以外にもウクライナ出身が

本名はアレクサンドラ・リソフスカといい、欧州では「ロクセラーナ」と呼ばれることの多いヒュッレム妃は、オスマン帝国スレイマン一世の妻であり、後のスルタン、セリム二世の母である。

ポーランド(レヒスタン)王国の領土内にあったロハティン村の司祭の三女で末っ子として、1506年に生まれた。息子のセリム二世のスルタン即位を待たずに、1558年イスタンブルで52年の生涯を終えた。

20代の頃タタール人の山賊にさらわれたが、クルム・ハンに保護されオスマン宮廷へ連れられてきたという記録が残っている。トルコやヨーロッパで絵画、音楽、バレエなどの歴史作品の題材となったヒュッレム妃が生まれたとされるロハティン村には、記念碑も建てられている。

ウクライナ史の研究を行っているヴォロデミル・セルヒチュク教授の著作『ウクライナが世界へ与えたもの』でも、ヒュッレム妃やその他の皇妃がウクライナの著名人の中に名を連ねている。

オスマン帝国スルタンの妻となり、国家の行く末に重要な役割を果たしたウクライナ出身の皇妃といえば「狂人イブラヒム」として知られるイブラヒム一世の妻、ハティージェ・トゥルハン妃だ。彼女は姑・キョセム妃との権力争いに勝ち、女性が政治に関わることを禁じた。ウクライナ民俗資料によると、オスマン二世の妻メリケ妃もウクライナ出身だったという。

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( 翻訳者:湯澤芙美 )
( 記事ID:22647 )