セイエド・アフマド・ハータミー「《イスラーム抜きのイラン》の偶像化は革命への背信である」
2011年05月28日付 Jam-e Jam 紙

テヘラン金曜礼拝導師のセイエド・アフマド・ハータミー氏は、革命の歴史を通じて「逸脱したグループ」には共通した特徴があると指摘し、「《イスラーム抜きのイランやイランらしさ》というものを偶像化することは、イスラーム革命への背信である」と述べた。

 イラン国営放送報道センターによれば、ホッジャトルエスラーム・ヴァル・モスレミーン(イスラーム宗教指導者への尊称)のセイエド・アフマド・ハータミー氏は、テヘラン大学で行われた金曜礼拝の説教で、「イスラーム革命の歴史を通じて、《逸脱したグループ》が共通にもっている主な特徴のひとつに、彼らが社会における宗教の影響力を減退させようとしてきたことが挙げられる」と語った。

 同氏は次のように続けた。

88年の反乱〔=2009年大統領選挙後の騒擾〕や最近の反乱〔=アフマディーネジャード政権がこれまでのタブーを破るような言動を繰り返していること〕においても、こうした特徴が見られる。マルジャ(シーア派宗教最高権威)やウラマー(宗教学者)たちが反対しているにもかかわらず、〔アフマディーネジャードや側近のマシャーイーによって〕イラン主義が不信感を煽るかのように、繰り返し提起されたことが、その一例である。

 同氏はさらに「われわれ全員がイスラームの祖国を愛していることに疑う余地はないが、しかしそうしたなかで《イスラーム抜きのイラン》を偶像化するような言動はイスラーム革命への背信と言えるだろう」と強調し、次のように述べた。

イスラーム共同体〔が繁栄すること〕と世界のなかでイランが模範的地位を占めることとが相乗効果を生むためには、《イスラーム的イラン》が必要なのである。〔イスラーム的イランを信じることなく、もっぱら〕イラン主義なるものを口にする者たちは、イスラーム体制にもイスラーム革命にも無関係であり、彼らは自らの好みを言っているにすぎない。彼らの話を体制の根幹に据えるようなことがあってはならない。

 セイエド・アフマド・ハータミー氏は革命後の逸脱したグループが共通して有している2つ目の特徴として、《神聖なるものの道具的利用》を挙げ、次のように語った。

88年の反乱で、彼らはイマーム〔・ホメイニー〕の塹壕の奥に立ち入り、体制を攻撃した〔=ミール・ホセイン・ムーサヴィーというホメイニーの信任の厚かった人物を利用して、内側から体制に攻撃を仕掛けた〕。最近の反乱の過程でも、彼らは〔イスラームの根本教義の一つである〕マフディー信仰を悪用しようとした〔※アフマディーネジャードに近い人々が、マフディーの降臨に関し、いかがわしいビデオを作成して、市中に広めたことを指す〕。

 同氏はさらに、次のように続けた。

マフディー信仰は、人々の信仰原理のなかでも、最も深く根を張った、最も強固な信仰に他ならない。しかし残念なことに、ここ2年の間に、〔アフマディーネジャードは終末の時に現れるヒーロー、ショエイブ・ビン・サーレフだ、といった〕不正な照合作業が行われることで、こうした人々の信仰が道具あるいは商品のように利用される様子を、われわれは目にしてきた。

 同氏はその上で、「この聖なる信仰が、利己的な連中によってオモチャのように扱われるようなことがあってはならない」と警告を発した。

 ホッジャトルエスラーム・ハータミーは、宗教学者、さらには「イスラーム法学者の監督権」の原理に挑戦することも、革命後の「逸脱したグループ」が共通に持つ、別の二つの特徴だと指摘し、「逸脱したグループはまた、社会に低俗な文化を広めようとする共通した傾向ももっている」と続けた。

〔‥‥〕

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( 翻訳者:吉田みずき )
( 記事ID:22745 )