Nuray Mert コラム:否定の政治は、クルド人以上にトルコ人に有害
2011年06月03日付 Hurriyet 紙

私が昨日(2日)記事を書いた頃、首相はまだディヤルバクルでの集会を行っていなかった。他のことを期待するものがあったかどうか分からなかったが、私は、今日にいたるまで彼が発言したこと以外の発言をするとは期待することができなかった。そしてその通りになった。

首相は、やはり予想された通り、ディヤルバクルにおいて首相の基準からすれば「柔らかい」言葉を使った。しかし、首相の選挙期間中のクルド問題についての懸緊張の度合いを非常に高めていたため、どれほど柔らかい言葉であろうと、「テロリスト」、山賊といった語句を使わずにはいられなかった。さらに、これらの言葉遣いに「人民のファシスト」という言葉も加わった。最近、平和民主党(BDP)ラインがを標的に、「ゾロアスター教」、「宗教の敵」とまで言った表現も加わったので、政権周辺が次第にいっそう増長して、このようにして廃残の中から新たに「トルコ的イスラム・テーゼ」の枠組みが再生されることにまでなった。

他の面で私が最も懸念させられたのは、首相も、全政権周辺も、我々の発言を本当には信じているということである。「これのどこが悪いのか」と思うでしょう。次の点が悪いのです;BDPの中で生まれた政治的伝統を、「テロリスト」、「ゾロアスター」、「山賊」、「宗教の敵」とラベル付けをし、この地域の社会から支持されると思うことは、まったく間違っている。首相、与党の南東アナトリア以外の人々だけではなく、当地以外のトルコ全土の世論もこの表現に納得している。しかしこの地域を知る人々は、みなこれは真実ではない、ということを知っている。これについて、公正発展党員(AKP)のクルド人国会議員が、この認識の断絶を、「小都市の秘密」のようにして秘密にしていることを理解することは不可能だ。

■疑ってみようではないか

BDPが代表するクルド政治運動は全クルド人を代表していないかもしれないが、彼らは非常に重要な部分を代表していて、多数の社会基盤がある。何よりも当地でBDPラインでない人たちの大多数もクルド問題について、トルコの他の地域の人とは別の考えをもっている。これら全てを見ないふりをしてすすめる道、勝利するような選挙はないのだ!

首相が絶えず繰り返し、また、元来、トルコのほかの地域の人々が納得するような次の意見、すなわち、「BDP」が圧力と脅威で票を得たという主張について、少しでも立ち止まって疑って考えてみることに、利益はないのだろうか?事実、無所属候補をたてて選挙に参加するというのは、それだけで十分、ハンディのある戦いだ。人々はこの障害を乗り越えるために甚大な努力をし、票が無効とみなされないように、無所属候補の中で票が上手に分配して投票されるように気を使い、非常に多く計算している。「圧力や脅威の下に投票する人はこの努力をするだろうか?」、「そもそも、都市部で圧力や脅威が問題となるだろうか?」、「(圧力や脅迫が機能しているなら)AKPはその地域からどのようにして票を得るのだろうか?」と考える価値はないだろうか?

■否定の政治はトルコ人をも誤らせる

クルド問題について何点かの重要な現実を見ないふりをし、また、見ない/見せないのは、単にクルド人の政治代表に対してだけの不正ではなく、おそらくもっと多くの割合でトルコの世論に対する不正haksızlıkなのである。この地域で何が起こったかについて我々が知ろうとすると、そこには様々な障害がある。しかし皆がこの国で生活しており、我々の将来に関係するあらゆる問題について、当然の権利として、説明を受けなければならない。否定の政治は、単にクルド人を抑圧するのではなく、同時に「トルコ人」をも誤らせているのだ。同じ国で生活する人々の間で次第に深まる認識/感情の断絶は、こうして大きくなっている。

アイセル・トゥールクの、「天国で共に生きるのであれば、地獄でも一緒」という表現は、「脅迫」とされ告発された。しかし事の真相は、まさにこれだ。地獄ではなく、天国でくらすために、我々に非常に厳しい責任が負わされている。火の玉が飛んできたからとしてそれを投げ返すだけでは、何の役にもたたない。

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( 翻訳者:富田祐子 )
( 記事ID:22759 )