エティレルの爆弾テロ、被害者女性、足を失う
2011年05月26日付 Milliyet 紙


38歳のアイテン・バルさんは今朝エティレルで爆発した中程度の爆発の犠牲者のうちの一人だ。この若い女性は、交通渋滞のために毎日通っている道をいつもより数分遅れて通り、脚を失った。彼女の父は、手術を受けることになった娘の容態に関する情報を記者団に提供する一方、(シヴァススポル監督の)ルザー・チャルムベイさんは病院を訪れ、彼の親類であるアイテン・バルさんについて情報を得た。

■女性は脚を切断

エティレルで起こった爆発で負傷した七人のうちの五人はシシュリのエトファール教育研究病院へ、残りの二人はオクメイダヌ教育研究病院へ運ばれた。オクメイダヌ教育研究病院へ運ばれたアイテン・バルさんの容態が深刻であり、脚を失ったという。バルさんと近くにいた友人ジェイハン・メルジャンさんは自動車で進んでいるとき、爆発が起こったという。
エティレルでの爆発で脚を失った38歳のアイテン・バルさんは、ある会社で顧客担当として働いていたということがわかった。彼女は、友人のジェイハン・メルジャンさんと自動車で走行中に爆発に巻き込まれた。バルさんはオクメイダヌ教育研究病院で手術を受けたという。

■手術中

朝エティレルのコチ橋の下で起こった爆発で負傷したアイテン・バルさんとジェイフン・メルジャンさんの、オクメイダヌ教育研究病院での治療は続いている。容態が重いアイテン・バルさんの父であるムスタファ・バルさんは娘の容態について記者たちのインタビューに応じた。

■「道が混んでいて遅刻したようだ」

ムスタファ・バルさんは娘の顔しか見ることができなかったと述べた。バルさんは「いま、手術室にいる。我々はその後の情報は得られていない。娘は、「お父さん」と私に言い、叫んだ。手術は二時間と言われた。医者たちは手術中だと言っている。少し前に手続きをした。妻は上で座っている」と述べた。彼の娘が五、六年間にわたって同じ職場で働いていたと述べる父親は、娘の隣にいた女性が姪であることを明らかにし、「娘に『アクメルケズまで私を送ってくれない?』と言ったようだ。アクメルケズから自動車専用道へ入るはずだった。そこからアタシェヒルの仕事場へ行っていた」と述べた。娘はいつもと同じ時間に家を出ていたと言うバルさんは、「今日は道が少し混んでいたようで遅刻したらしい」と言った。

■ルザー・チャルム氏の訪問

一方、この間、バル一家への見舞いにサッカー・シヴァススポル監督のルザー・チャルム氏が訪れた。父のバルさんへ見舞いの挨拶をしたチャルム氏は、「私たちはとても近い関係です。テレビで知りました。知らせを聞きました。親戚です。そして、とても近い友人なのです。とても心配しています。きっと良くなります。他に望むことはありません。今は脚に関して問題があるようです。彼女のことを待っています」と述べた。

■ヤズギュル・シュバトゥルさんの親戚の新聞記者が容態を説明

ヤズギュル・シュバトゥルさんの親戚であるジャーナリストのテュライ・シュバトゥルさんは「ヤズギュルの顔には深刻な火傷がある。髪も焼けたそうだ。最も深刻な問題は気管だ。医者たちは気管の内側が焼けていると言っている」と述べた。

テュライ・シュバトゥルさんは「最も深刻な問題は気管だ。医者たちは気管の内側に火傷があるといっている。このような激しい爆発では、こうしたことが起こるのだそうだ」という。

テュライ・シュバトゥルさんは親戚であるヤズギュル・シュバトゥルさんが現在の人口呼吸器につながれていると述べ、このように言った。「ヤズギュルのこの火傷の他、食道が閉じてしまわないように集中治療中だ。右目もけがをしたが、どの程度のけがかは聞いていない」という。事件が起きたとき、道を歩いていたという。事件のすぐあとで、自分の電話が壊れていたため他の人の電話で夫に連絡し、病院へ運ばれるということを知らせたらしい。ヤズギュルさんの意識はある。

けが人であるサミ・ウシュクさんの父オズジャン・ウシュクさんも息子がレヴェントにある、あるプロジェクト企画会社で働いており、友人のアゴプ・デミルさんと一緒に通勤するときに爆発の被害にあったことを述べた。オズジャン・ウシュクさんは息子のサミ・ウシュクさんとアゴプ・デミルさんがエトファール教育研究病院で治療を受けていると述べた。

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( 翻訳者:児仁井ひかる )
( 記事ID:22849 )