Taha Akyol コラム:3党の歩み寄りは可能か?新憲法はできるか?
2011年06月06日付 Milliyet 紙

選挙各地での街頭演説を私は全く重視していない。念頭にあるのは、選挙後にどうなるかだけだ。最も重要なことは、新憲法は作ることはできるかどうかだ。口で言うのは簡単だ、「市民的、民主主義的、参加型」!しかし、具体的な話になると、不協和音がはじまる。

CNN Turkで、AKP(公正発展党)からムスタファ・シェントップ氏を、CHP(共和人民党)から欧州人権裁判所の元陪審員リザ・チュルメン氏を、MHP(民族主義者行動党)からはウミット・オズダー氏を招き、昨晩この件に関して私は番組作成を行った。概要は以下の通り。

様々な事項でAKPとCHPが同意に至るのは容易であるように思われる。不可変条項の基本的な原則を守りながら憲法を書き直すこと、地方自治体にさらに権限を委譲する必要があること、政府がクルド語の学習(クルド語教育ではなく)を可能にすることといった事項で、この二つの政党は、議論を重ね結論を導き出すことができる。しかしMHP議員のウミット・オズダー氏は番組内ですぐに態度をあらわにした。
「そもそもAKPとCHPの間にあまり違いはない。違うのはMHPだけだ。」

一方で、宗教教育や宗務庁といった議題になると、AKPとCHPの歩み寄りは難しくなり、AKPとMHPの方が容易に同意に至ることができるように思えた。

■自治区問題と憲法

この複雑な構図に「あなた方が自治を認めないなら、私たちだけで実行する」と述べるBDP(平和民主党)を加えてみよう。
つまり、あらゆる公共機能を政府組織が執り行うのを妨害し、これを「地区委員会」と呼ばれる「組織」に独占させるというのだ。生まれるであろう混沌を考えてみてほしい。

昨日のTaraf紙で、民主的なクルド人知識人 オルハン・ミルオール氏の大変重要な記事が載せられていた。PKK(クルド労働者党)に命を脅迫されたこともあるミルオール氏は、「民主的な自治」という主張で以下のように書いている。

「『私たちは(自治区宣言を)する、大丈夫』ということは、分離独立のリスクを負うということだ。無血ですめばと思うし、この苦しみが終わるならそれもいいが、そうはならないことは、皆がわかっている ことだ」

ミルオール氏は、PKKとBDPによって宣言されるであろうこの「事実上の自治」、つまり、言葉の上で、強引に宣言されるであろう自治宣言がもたらす災厄に注目している。
実際に、トルコが民主化しているのに、クルド民族主義はじょじょに全体主義化し、武装解除にむけてどんな歩み寄りも見せなかったということは、彼らが何の準備をしているかの表れではないのか。

さあ、政党と市民社会組織全てが一体となってひとつの憲法を作ろうではないか。

■頭を整理すること

番組内でMHP議員のウミット・オズダー氏は、地方自治体の権限の拡大というテーマについてさえ、大変慎重な言葉を用いた。「統一国家üniter devletiが空洞化するのが心配だ」という。

AKP議員のムスタファ・シェントップ氏とCHP議員のリザ・チュルメン氏は、地方行政の強化を強く主張した。二人とも「これは行政的な意味である。政治的な意味での自治区ではない」と述べた。この問題について、私はシェントップ氏とチュルメン氏と同感だ。

PKKとBDPが主張する「民主的自治」という民族的・全体主義的な施策は全体主義的な性格を持っているため、普遍的でリベラルな憲法で認めることができる解決策ではない。

さあ、歩み寄りにより7500万人が幸福になる憲法を作ろうではないか。
今日の憲法で続けることは不可能だ。なぜなら今日の憲法は、トルコにとって足手まといとなる条項を含むばかりでなく、社会的な尊厳を失っているからだ。
新憲法を作ることは不可避だ、しかしその前段階としては、まず落ち着きをとりもどし、憲法の制定に不可避な交渉と歩み寄りの精神に基づき、頭を整理することである。

ああ、これが簡単なことであればいいのだが。

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( 翻訳者:高橋健太郎 )
( 記事ID:22857 )