Ali Akelコラム:BDPは解決の一部を担うべきだ
2011年06月14日付 Yeni Safak 紙

レジェプ・タイイプ・エルドアン首相は、その名をトルコの歴史に10年以上にわたり刻みこんでいる。それは今も続いている。神が彼の長い寿命を与えたなら、まだまだ(彼の活躍する)時間はありそうだ。歴史的出来事が起こってきたこのトルコで、昨日「歴史的」な選挙を実現させた。50%に近い得票率で326人の国会議員を当選させ、2002年から今日まで自らの政党を3回も単独与党にした。エルドアンが党首を務めるAKPにおいて、その党首の言い方に従えば、熟練した「親方」の時代が始まった。

エルドアン首相は、言葉にした「親方」としての力を示せるだろうか。期待に応えられるだろうか。得票率が増えたにもかかわらず、望んでいた憲法改正に必要な330議席、つまり単独で憲法改正に必要な議席をエルドアン首相は獲得できなかった。

バルコニーでの勝利演説で最重要な点は、トルコで暮らす全ての人、つまりトルコ人、クルド人、ラズ人、アレヴィー、それぞれが新たに作られる憲法のなかに居場所を見つける、というエルドアン首相の発言である。あゆみよりへの扉を開けた。エルドアン首相は、国会で全ての人を訪ね、話会うと述べた。選挙戦での希望を砕くような発言とは逆に、新憲法、クルド問題やその他の問題が解決に向かう期待を与えた。他の時代には実現されなかったこれらの問題の解決が、政治的計算をこえたやり方で今回実現されることを願っている。

■世界を驚かすリーダー

敵でさえタイイプ・エルドアン首相を見ると、わずかな妬みや驚きを抱くだろう。彼は8.5年にわたる政権で国民所得を3,000ドルから10,000ドル以上にし、トルコ経済を世界で17番目にしたリーダーである。ワシントンで、AKPとタイイプ・エルドアン首相の話になると、人々は2001年の金融危機の例を挙げ、10年前5.7%であった経済成長率を今日9%近くにしたと全員が称賛を口にする。

国内では、クーデター計画、AKP解党裁判、アイ・ウシュウ(月光)クーデター計画、バルヨズクーデター計画、エルゲネコン組織、これらのみならず、外部からは「秘密のイスラム化陰謀」、(EU加盟路線から中東・イスラムへという)「軸のずれ」、ヨーロッパやEUからの離脱、独裁願望などと宣伝・非難されたにもかかわらず、これらの経済成長をエルドアン首相は成し遂げた。
AKP解党裁判が続く中、エルドアン首相をはじめ政府当局が、国内的にも国際的にも解党裁判がまるで行われていないかのように行動したことに私は最も驚いた。中東平和への努力と仲裁を行うこと、またトルコ・アフガニスタン・パキスタンの三ヶ国サミットは、解党裁判中においても衰えることなく続いていたのだ!しかし最も濃密な会議はこの解党裁判中、もしくはすぐ後に行われた。

■社会からの力

最も重要なことは、新憲法とクルド問題解決のために踏み出された一歩である。社会的な分裂が激しくなる可能性があったため、に新憲法提案は、その時は短期間で棚上げにされた。しかし、クルド問題という課題については、故トゥルグト・オザルの時代から今日までで最も勇敢な歩みを、この政府は躊躇せずに踏み出した。(2009年時点では)望まれる結果は得られず、「クルド問題解決策」は中途半端に終わったけれども、何が問題かをはっきりさせることができた。解決の「意志」と期待は、初めてこれ程強い形で明らかになった。
タイイプ・エルドアン首相がこれほどの妨害にも関わらず「強い」リーダーシップを見せる根底に何があったのかと問うならば、多くの知識人たちがすでに書いているように、それは間違いなく、「社会からの変化を求める声と変化への圧力」だと言える。社会から得た力で、変化を望む人々のなかに、彼への支持の領域の分野を広げた。変化に抵抗する、現状維持の試みに対し影響力をもちえた。

社会の変化への要求は、2010年9月12日の国民投票で頂点になった。トルコ社会は、総選挙へ1年をきり、「変化」の革新を行うために憲法改正に57.9%の人が「賛成」と言い、エルドアン首相へ力強く「政策を続けなさい」との意思表示をした。

先の日曜に行われた選挙で、社会の変化を望む声がさらに強い形で明らかになった。

トルコの歴史にエルドアン首相よりも前から名前を刻んでいる一人の人物がいる。アブドゥッラー・オジャランである。トルコの多くの人が、「分離派のリーダー」、「血で手をそめたテロリスト」と言い、クルド人の一部の人が「民衆のリーダー」、PKKの「リーダー」として、組織的に特別な地位においている人物がアブドゥッラー・オジャランである。

25年以上にわたり、トルコがその名を聞いてきた人物。12年間イムラル島で服役している。最近、絶えず、クルド問題へ「民主主義的憲法による解決」が貢献すると述べている。日曜の選挙で第一党となったエルドアン首相であるが、第二の勝利者は平和民主党(BDP)である。BDPの票は、わずか1%ほど増えただけにもかかわらず、36人の国会議員を無所属として国会へ送りこんだ。誰が何と言おうと、クルド問題において、クルド陣営の今日最重要主体はアブドゥッラー・オジャランである。一人でこの問題を解決することはできない。しかし、「未解決」へは簡単に傾かせることができる。

他の主張がいろいろと言われているが、オジャランはPKKキャンプのあるカンディルで、言うまでもなく力や影響力を有している。クルド人有権者の少なくとも半分はイムラル島(オジャラン)-カンディリ-BDPの考えにそって投票している。(彼らが)「セロクが、毒殺される!」と言えば、何千人もが、通りに飛び出してくるのだ。

このように、アブドゥッラー・オジャランはクルド問題で重要な地位を占めている。

リーダーが「強い」キャラクターであることは重要だ。強固な民主主義ならばリーダーが強くなくても、民主的制度が実施され、制度が通常の形で機能することが保障される。しかし、民主主義が強固でない国でリーダーが「強い」ことは、長所でもあり短所でもある。強く影響力のあるリーダーが「民主的に」振舞わなければ、政治の領域は窮屈なものとなる。政治で決定できる範囲が、力と影響力の圧力の下で縮小する。

各党党首らの選挙前の演説は3つの基本から成り立っていた。新憲法、クルド問題解決、そして経済だ。エルドアン首相の発言は、新憲法という課題については力強いものだったが、クルド問題解決については、数多くの疑問符を生む原因となった。バルコニーでの勝利演説は疑問を完全に消し去らなかったが、その疑問を減少させるものではあった。

しかし、アブドゥッラー・オジャランが弁護士と行った最近の会談で述べたAKPへの分析は、「あゆみより」よりもAKPに対する「戦い」を指し示していた。解決と未解決の間に太い線を引いている。オジャランが、どれだけ、「だれが何を信仰しようと、我々には関係がない。我々は信仰に対して非常に敬意を示しており、価値があると考えている。我々は価値を与えているからこそ、AKPの偽のイスラム理解を受け入れずにこれに対して対抗している。我々はメディナのイスラムを重要だと考えている」と言い、その談話は「イデオロギー対立」の上に成り立っていた(注)。全てをさしおき、AKPが「アメリカの陰謀」であると考えることは、クルド問題の事実にも、世界が向かっている新しい方向性にも、彼がどれほど無知でいるか、または無知でいようとしているかを示していた。

【訳者注】選挙戦のさなか、PKK/BDPがクルド語でのアザーンを行わせたという報道が流れ、これをPKK/BDP側は、「クルド人のなかのイスラム保守派に対するAKPのゆさぶり」として非難していたことを受けている。

■BDPには責任がある

「AKPは、問題解決のためではなく、アメリカの政治を新たな方面へ進めるためにつくられた政党である。」
「AKPは軍事政権である!新イスラム民族主義者軍事政権は、民族主義者軍事政権より奥深く、より危なく、より組織化されたものである。工作はより強力である。この軍事政権がアメリカと合意することはより根が深い。」
「AKPはリビア、シリア、アフガニスタン、パキスタンでのアメリカ政策へ調和し、アメリカ政策援助することで政権を維持している。AKPは、近隣イスラム国でのアメリカの政策へ協力している。AKPは、アメリカの息のかかったイスラム国での代表組織である。この奉仕全ての代償として、アメリカからクルド人純化の許可を得ている。」などなど。

「12年間、数平方メートルの場所に投獄されている人物からあなたは何を期待するのか」という問いへの私の答えは以下のものだ。「彼はこの程度の人物ということだ。」

大きな「力」を持ってトルコ大国民議会へBDPは参加することになった。新憲法およびクルド問題解決の義務と責任は、AKPに、そして最低でもAKPと同程度に、BDPの肩にものしかかっている。エルドアン首相は、選挙前の演説を訂正し、今は「白黒つける日ではなくお互いを許す日」だと言い、BDPだけでなくCHPやMHPへも新たな時代を迎えるトルコの扉を開けた。次は、BDP、より正確には、オジャランの番である。本当に「民主的な憲法による解決」へ貢献したいなら、今やるしかない。

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( 翻訳者:榎本有紗 )
( 記事ID:22990 )